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怒りの本質 〜歴史から紐解く育児のイライラ〜

こんにちは!

今日も仕事と育児に奮闘中のパパセラです。

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さて今日は、『怒りの本質』を人間社会の歴史から紐解いていこうと思います。

なぜ育児中にこんなにもイライラしてしまうのか。本来愛しいはずの我が子に罵声を浴びせたり虐待に至ったりと悲しいニュースが後を絶えない。人間が本来持つ愛着というものが歪んでしまうのはなぜなのか。それを私なりの知識で書いてみようと思う。

〈怒りという感情が最初の社会を作った〉

人間は初めから社会という組織で生活していたかというとそうでは無い。はじめは個々がそれぞれ生存に必要なものを探し求めて生きていた。完全個人プレーの世界だ。しかし、それでは非常に効率が悪い。人間個々によって能力が異なるからだ。狩猟が得意な人間もいれば、調理が得な人間もいる。だから一人では生きていかないことに気づき、一つの社会を作るに至った。

しかし、今のような民主主義な社会ではなく、はじめは『強者が偉き者』という弱肉強食の社会で一人のトップに立つものが支配する社会だった。支配が中心となる社会であったので、時には力を行使して全体を牛耳っていたのだ。

※現在、新たな組織運営のモデルとして『ティール組織』という新しいモデルがあるのだがその中で言えば『レッド組織(衝動型組織)』に相当する。

そんな社会の中でトップに立ったため、支配するために必要だったのが先にあげた『力』であり、もう一つが『怒り』という感情である。だから怒りはそもそも相手を『支配』し『縄張り(テリトリー)』を形成するために必要だったのだ。『怒り』により相手は、トップの意に反することをしてしまったという『罪悪感』が生まれ『謝罪』が誕生する。それにより支配下に入ってしまうのである。そうすると支配下の人々から『自由』が奪われ制御的に動く人間になるのだ。これで上下関係が誕生する。

〈子供を『支配』していないか?〉

今まで『怒り』と『社会(組織)』との関係を述べてきたが、育児に置き換えてみる。家族とは一種の組織である。家族それぞれには個々のルールが存在するだろう。例えば『食事中にテレビを見てはいけない』、『パパの鞄には触れてはいけない』など色々あるだろう。その個々のルールはもしかして『支配』が目的になっているかもしれないということだ。すなわち、

親が作る社会(組織)に子供を入れてコントロールしようとしている

ということだ。だから、子供が親の意図せぬ行動に移ると『怒り』という感情を持ち出して子供を屈服させるような行動に移ってしまうのではないだろうか。そして、親が作り出したルールはレッド組織でいう『縄張り』を象徴するものであって、それ自体が親の偏見や常識を反映させたものではないだろうか。

〈親自身が学び続ける必要性〉

とは言え、家庭のルールがないと無秩序であり生活が維持できないかもしれない。だから一定のルールは必要になる。その上で大事になるのが、

親自身が学び続け、偏見や常識に囚われすぎないようにする

ということだ。

親側の認識の狭すぎると子供の行動は容易に理解の範疇(テリトリー)を超えてくる。そうなれば子供が『支配』から飛び抜けてしまったと感じ、『怒り』を持ち出してしまう。より野性的な制御方法だ。高次に発達した社会で太古の組織モデルを持ち出しているようなものだ。

だから、親が学び続け『偏見・常識』という名の思い込み(バイアス)に飲み込まれないようにする必要がある。それを繰り返していると、頭を悩ませてた『怒り』から解放されるかもしれない。

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今回は『怒りの本質』参考にして、社会の発達という視点で育児イライラを紐解いてみた。アドラー心理学との共通点もあるように感じたが、やはり『怒り』を含めた感情は隠れた目的があって持ち出すものではないだろうか。現代社会ではいろんな常識にがんじがらめになっているので、今までのバイアスから受け出すのは容易ではないだろう。巷で『マスク警察』などが出てきているのも自分たちのテリトリーを守ろうとする『支配』の心が生み出したものかもしれない。人々が怒りに翻弄されないためにも学びの精神は必要不可欠なのかもしない。

ではまた!!




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