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すべてのスポーツをする人たちに必要な「順道制勝」という考え方

先日、大学の先生と話をした。
同朋筑波大学の大学院博士課程を出て大学教員。

会話の中で、嘉納治五郎先生の話になった。

嘉納治五郎先生と言えば、
日本が近代オリンピックに参加するためにご尽力され、
日本体育の父と呼ばれるほど、
日本の体育発展に寄与された偉大な方。

柔道の創始者として有名だ。

嘉納治五郎先生、柔道と言えば、
「精力善用・自他共栄」
が有名だ。

しかしその先生はもっと好きな言葉があるという。
それが、「順道制勝」だという。

恥ずかしながら、その言葉を知らなかった。
しかし、意味を調べていくと、
本当に大切なことだと思い知る。


順道制勝とは

勝つにしても道に順(したが)って勝ち、負けるにしても道に順(したが)って負けなければならぬ。負けても道に順(したが)って負ければ、道に背いて勝ったより価値があるのである。http://kodokanjudoinstitute.org/doctrine/word/jundo-seisyo/


これは現代で言う「フェアプレイ」の精神ではなかろうか。


スポーツの価値が上がり、
社会的な変化もあり、
人々の関わり方がどんどん変わってきた。
スポーツが職業になり、
莫大なお金が動くこと、
人生が動くことで、
勝てば人生が変わる。
という情況が生まれる。

何が何でも勝つ。
負ければ意味がない。

場合によってはスポーツそのものにそんな価値づけがされるようにもなった。

それが学校体育というか、
育成世代のスポーツ現場でも言われ、考えられている場合がある。

「勝ちだけに価値があるとは思わないが、
勝ちを目指す過程には間違いなく価値がある。」

というのが私の考えだ。
しかし、それは「順道制勝」の考えなくして成り立たない。

カルロスとの出会い


私を日本代表として引き上げてくれた監督が、
カルロスだ。
ハンガリーでプレイした時、
対戦相手の監督だった彼が日本代表の監督になり、
一緒にプレイできたあの期間は間違いなく人生の宝物だ。

そのカルロスが常々口にしていたのが、
「我々のハンドボールをしよう」
だった。

やられるにしても、負けるにしても、
「我々のやられ方」でやられる。
というものだ。
言い換えれば、
どんな時も「我々のハンドボールを貫く」ということになる。
どんなに見事に失点したとしても、
それぞれがやることに対して全力を尽くし、
規律の中で迷いなくプレイをしていた場合、
カルロスはベンチで喜んでいた。

フォーカスしているのは、
我々のハンドボールができているか
我々のハンドボールが成長しているかどうか

だった。
もちろん勝ち負けがある。
代表チームともなれば、勝たなくてはならない。

ただ、勝つために何をしてもいいのかといわれると、
そうではない。

人として間違ったことをしない。
ルールの中でフェアプレイをする。
自分に嘘をつかない。

そのような考えを持った監督の下でプレイできたことは、
大きな影響を与えてくれた。

まとめ

勝ちを目指す過程において、
うまくいくことばかりではないし、
すべての「勝ちたい」という想いが届くとは限らない。
すべての選手が勝つことは不可能だ。
ただ、すべての選手が学びと心の充実感を得ることはできる。
「道に順っていれば価値がある」のだ。

「順道制勝」
いま一度、心にとめておきたい。

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