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人生で1番好きなテレビドラマに出逢いました

こんにちは!

今日は、わたしが最近出逢った「テレビドラマ」について書いてみようと思います◎

実はわたし、あまりテレビが好きではなく…。特にバラエティやニュース番組は日常的に見る習慣がなく、見たい!と思ったドラマや映画・話題のアニメなんかは、録画して見るようにしています。1〜2話みて、面白そうなら貯めておいて時間のある時に早送りしながら一気見!が流儀です。(笑)

そんなわたしが、人生の中で「1番好きかも!」と思えるテレビドラマに出逢ったので、備忘録しておこうと思います。


1.NHKドラマ。

わたしが珍しく興奮して(笑)見ているドラマは、NHKで放送されている「恋せぬふたり」というテレビドラマです。

前クールにNHKで放送されていた「阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし」を見ていたので、見終わった後の予告の宣伝でこのドラマを知りました。(阿佐ヶ谷姉妹も、とっても良かったです◎)

主演の岸井ゆきのさんという女優さんが好きなことと、ストーリーがなんだか面白そうだったので、絶対みたい!と思い、1/10〜の放送をすぐに毎週録画に設定しました。

2.「恋せぬふたり」

―――恋愛しないと幸せじゃないの?

人を好きになったことが無い、なぜキスをするのか分からない、恋愛もセックスも分からずとまどってきた女性に訪れた、恋愛もセックスもしたくない男性との出会い。

恋人でも…夫婦でも…家族でもない? アロマンティック・アセクシュアルの2人が始めた同居生活は、両親、上司、元カレ、ご近所さんたちに波紋を広げていく…。
恋もセックスもしない2人の関係の行方は!?
※アロマンティックとは、恋愛的指向の一つで他者に恋愛感情を抱かないこと。アセクシュアルとは、性的指向の一つで他者に性的に惹かれないこと。どちらの面でも他者に惹かれない人を、アロマンティック・アセクシュアルと呼ぶ。

引用:NHK ( https://www.nhk.jp/p/ts/VWNP71QQPV/ )

岸井ゆきのさん演じる「咲子(サクコ)」と、高橋一生さん演じる「高橋」が、自分自身のセクシャリティを受け入れ、そして向き合いながら、ふたりで支え合いながら。1つの恋愛感情のない家族を作っていくというストーリーです。

「アロマンティック・アセクシュアル」という言葉を、わたしはこのドラマで初めて知りました。

取り上げているテーマは決して軽いものではないですが、作品自体は重くなりすぎず、クスリと笑えるシーンも多いので、とてもみやすい!という印象です。

3.マジョリティとマイノリティ。

作中では、既に自分自身のセクシャリティを受け入れつつも葛藤を抱く"高橋"と、高橋に出逢い自分のセクシャリティを受け入れようと葛藤する"咲子"の姿がとてもリアルに描かれています。

セクハラとでもとれるかのような言葉で男女の仲の良さを茶化す上司。仕事上仲がいいだけで恋愛っぽい雰囲気を醸し出す後輩。恋愛して結婚して子供を産むのが幸せだと決めつける両親。夫婦はこうあるべき、普通の家族はこうであるべきと押し付ける妹夫婦。もういい歳なのにと結婚相談所の案内やお見合いをお節介で持ってくる近所や職場の同僚。セクシャリティを理解できずに付き纏う元恋人…。

マジョリティ(多数派)とマイノリティ(少数派)の狭間で揺れ動く感情を、「恋愛」をテーマに色々な角度からスポットを当てて物語は展開していきます。

悪意なんてなくたって、物理的にどうしてもマジョリティ側の意見が強くなってしまう時がありますよね。マイノリティ側はなかなか理解されにくい一面がある。

もちろん、マジョリティが故に悩むこともあると思うので、どちらが良い・悪いの話ではなく、重要なのは「お互いがどのように相手を受け入れ、歩み寄るか」。そんなことが上手に表現されているなあ、ととても学びの多いドラマです。

4.「普通」「当たり前」を考える。

ここだけの話、実は、思わず涙が出た回があります。ここから先は、ネタバレが少し入るので、不要な方は「5.最後に。」へスキップお願いします◎

第2話、咲子の家でのシーン。

高橋が咲子の家族に自分の家族のことを根掘り葉掘り聞かれます。「幼い頃、両親に捨てられたので、僕も両親を捨てました。」

「それは大変なご苦労を…。」哀れみの表情でそう言った咲子の母に対して「苦労なんてしてないです。僕は祖母の愛を一心に受けて育ちました。」と、笑顔でまっすぐな瞳で語る高橋。

「じゃあ、これからお姉ちゃんと普通に幸せになればいいんじゃん!」悪気もなく言い放つ咲子の妹。「2人で普通の家庭作って、普通に幸せになる運命だったんですよ!」と、続く妹の旦那。

その言葉に張り詰めていた糸が切れてしまった咲子。「普通の幸せって何?」「ねえ、普通の家庭って何?」そう感情を露わにしながら、自分自身のセクシャリティを家族に打ち明けます。

「何それ、お母さん、そんなの理解できない!」とヒステリーを起こす母。

ずっと黙っていた高橋が一言。「じゃあ、理解しなくていいんじゃないですかね。なんでこういう時って、"こういう人間もいる" "こういうこともある"って話、終わらないんですかね。」

この後、ふたりが暮らす家でのシーンに変わるのですが、そこでのふたりの会話もとっても素敵なものでした。

咲子の葛藤に胸が締め付けられ、高橋の多様性を受け入れる大きな器に安心し、思わず涙が出たのだと思います。

第2話以外にも、日常のシーンで「普通って?」「当たり前って?」そんなことを考えるヒントが作中のあちこちに散らばっています。凝り固まった自分の固定概念が、ハッとさせられる瞬間の多いこのドラマ。全8話とのことなので、今後も楽しみに見ていきたいと思います◎

5.最後に。

以前、こんな記事を書いたことがあります。

わたしは、昔から「普通」「当たり前」そんな言葉が嫌いでした。

小学生の頃は「女の子」と括られることが何故か嫌で、髪をベリーショートに切ってみたり、中学生の頃は「見た目」で括られることが嫌で、150㎝の体型で柔道部に入ってみたり。

高校は地元でも有名なお嬢様が集まる中高一貫の女子校(わたしは高校から入試で入ったのでお嬢様ではないのです)に通っていたのですが、「お嬢様」と括られるのが嫌で、ギャルっぽいメイクや服装をしてみたり。

大学時代は「人と同じ」が嫌で、髪の毛を赤く染めてみたり、着ぐるみみたいな服を着ていたこともありました…。(笑)

極め付けには、みんな同じスーツ・黒い髪型・似通った質問で構成されている「就職活動」に違和感を覚え、モヤモヤを抱えたまま就活をし、就職をしました。

その後、自分のマイノリティを殺しながら懸命に会社員をしていたところにヨガと出逢い、どこか一生懸命に偽っていた自分を受け入れることができたことが、わたしにとっては会社を辞め・自分の人生を生きる決心ができた1つの要因になりました。

思い返せば、わたしはいつも「マジョリティ」を嫌い、「マイノリティ」を主張しようと必死だったのかもしれません。

色々な人と出会い、さまざまな経験をし、ヨガを学び。ようやく「マジョリティも、マイノリティもいいじゃん!」そんなふうに思えるようになったことで、心のモヤモヤはどんどん消えていきました。

時代が代わり、色々なマイノリティの多様性が受け入れられつつある世の中の風潮。今回は、「アロマンティック・アセクシュアル」というセクシャリティが題材となっていますが、本当はそんな言葉なんてなくたって、わざわざ括ってわけなくたって。

ひとりひとりの違いが美しくて、みんながそれを受け入れられる。

そんな世界こそが「普通」「当たり前」になっていったらいいな…!なんてひっそりと思いながら、そんなメッセージを込めながら。日々、わたしはヨガをお伝えさせていただいています。

テレビドラマ「恋せぬふたり」は見逃し配信や再放送などもあるそうなので、気になる方はぜひ!おすすめです◎

それではまた、次回◎

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