ずっと長い夢を見ていた
こんにちは!
今日は、プライベートなことを1つ。
先日、7/24(土)16:47。
最愛の愛犬、エルが旅立ちました。
1週間経ち、気持ちの整理をしながら毎日を過ごしています。あまり、日が立たないうちに、この大切な気持ちを備忘録しておこうと思います。
私的な内容で申し訳ありませんが、2・3回に分けて描かせていただきます。生死と向き合う心苦しい内容になると思うので、苦手な方は読まれないほうがいいかもしれません。けど、どうしても、書き記しておきたいなと思います。
ご容赦いただけましたら、幸いです。
1.もう長くはないと分かっていた。
エルが始めて腎臓病と診断されたのは5年前のことです。
腎不全という病気は、治ることはありません。つまり、腎臓が機能しなくなることが、彼の旅立ちの時を表しています。腎不全を患った動物たちの寿命は、大体2〜3年といったところだそうです。診断されたその日から、食べ物の見直しを中心になるべく腎臓に負担がかからないような生活が始まりました。
時が流れ、2年ほど前にはかかりつけの獣医さんから「この数値でご飯が食べれているなんて奇跡ですよ」と言われました。
既に、腎不全を患ってから3年が経過していました。
エルの様子はこれまでと特に変わったこともなく、大好きな散歩も朝昼晩と遠くまで行き、ご飯もたくさん食べました。
彼の生命力を信じたい一方で、残された時間が「たくさん」ではないことは、いつも心の片隅で分かっている「つもり」でした。
2.最期に過ごした愛しい時間。
少しずつ痩せたり顔が真っ白になったりと、衰えは感じていたものの、エルの様子が何だかおかしい?と思ったのは2021年の1月のことです。これまで本当に普通に生活してきたエルですが、ある時から後ろ足が震えるようになりました。次に、口から臭いのあるヨダレのようなものがたくさん出たり、ご飯を残すようになったり…。
獣医さんのアドバイスで、足の震えとヨダレのようなものは少し収まり、少しずつ元気を取り戻しているように見えました。
それでも、ご飯だけはどうしても気が進まないようでした。腎臓病の動物は、とにかく口が変わりやすいと言われています。
わたしと母は、片っ端から色々な種類のドッグフードを取り寄せたり、たまには獣医さんにもらったキャットフードを与えてみたり。おやつを砕いて振りかけてみたり、人間の食べ物と同じものをアレンジしたり。食べやすいようにミキサーにかけたり、コーヒーミルで粉砕したり。お湯でふやかしたり、とろみをつけてみたり、冷やしてみたり。
とにかくやれることは全てやりました。努力しても口にしてくれない日もたくさんありましたが、それでもわたしと母はやり続けました。
2021年の6月頃には、母が作ったお野菜のスープしか食べられなくなり、点滴が始まりました。
それでは栄養が摂りきれないことは分かっていましたが、注射器のようなもので他のフードを与えようとしても、エルは頑なに口を閉じて食べませんでした。
次第に、日中もずっと眠って過ごすようになりました。大好きだった散歩も、家の前の道しか行けなくなりました。
それでも、彼は母がお野菜のスープを作る音がすればふらふらと立ち上がり、そばまで寄っていきましたし、距離は短くなりましたが、自分の足で散歩に行きました。
わたしは、刺さない鍼で腎臓のあたりをコロコロしてあげたり、お灸で腎臓に良いツボを温めてあげたり。蒸しタオルで体を拭いてあげたり。
彼が楽になれるようなことは、何でもしてあげました。一方で、何でも自分でやりたがる性格だったので、「立ち上がる」「歩く」「階段をのぼる」「食べる」などの行為は、できるだけ手を貸さずに自分の力でやれるように見守りました。
とにかく、わたしと母とエルは、毎日ほとんどの時間を一緒に過ごしました。
3.ずっと長い夢を見ていた。
7/21頃から、エルは母が作るスープすら食べなくなりました。お水の注射器を口元に持っていくと、申し訳なさそうにほんの少しだけ飲みました。
腎不全は、水分が摂れないと身体中に腎臓で処理しきれなかった毒素が回ってしまう病気です。これまでお野菜のスープで摂っていた水分も、もう摂れません。何も食べられないのに、吐き気だけがエルを襲いました。
寝ているお布団の上で吐けばいいのに、エルは立ち上がって必ず玄関までフラフラと行きました。何も食べてないから、胃液のようなものしか出てきません。
わたしと母は、背中をさすってあげて、吐いた後の口を洗ってあげることしかできませんでした。
点滴を嫌がり、頑なに何も口にしないエルを見て、わたしと母は病院に連れていくことをやめました。彼が、何か決意をしたように思えたからです。
それから、旅立つ日の24日までの4日間、エルは何も食べませんでした。ずっとしんどそうに呼吸をしながら眠っていました。
あの時、彼はどんな長い夢を見ていたのだろう?と。
少しでも安心できて、心身が休まるように…と。少しでもあなたを愛する気持ちが伝わるように…と。わたしは側で彼の体に触れ続けました。
4. 最後の朝。
24日の朝。わたしと母は家をあけないように交代でエルを見ていましたが、この日は2人とも休みで家にいました。朝起きて、2人でエルを抱っこして散歩に行きました。
おしっこは出ませんでした。朝起きた時に、シーツに血尿のような痕があったので、嫌な予感がしていました。腎不全の最期は、おしっこが出なくなると知っていたからです。もうすでに、ご飯を食べなくなって4日目。このサインが、ついに来てしまったと。わたしと、母は悟りました。
よく散歩に行っていた近くの公園の芝生にエルを下ろすと、なんとも幸せそうな顔をして草の匂いを嗅いでいました。あの時の顔は、微笑ましくて、一生忘れらないと。母とわたしの胸に刻まれています。
帰り道、3人で写真を撮りました。何となく、撮ったほうがいいと思ったのです。
藁にもすがる思いで、お昼も抱っこして散歩に行きました。おしっこは出ませんでした。すると、それまで立つのもしんどそうだったエルが、突然とてつもない速さで走り出しました。
わたしと母は驚いて、必死に追いかけましたが、彼は家のほんの手前まで。少しの距離でしたが、昔のように全速力で走りました。
走るのが、大好きな犬でした。よく、父や弟と一緒に散歩の帰り道に全速力で走っていた、遠い昔のことを思い出しました。
家につき、いつものベッドに横になると、それからエルはもう立つことができませんでした。もしかしたら、彼も同じように、昔のことを思い出していたのかもしれません。そして、自分の最期を悟っていたのかもしれません。
そして1時間後。ベッドの上で吐きかける声が聞こえたので、側で横になっていたわたしと母が急いで体を支えました。
もう何も、吐くものなどありません。
エルは、わたしと母の腕の中で、苦しそうに嗚咽しました。取り乱していたので、母が舌を噛まないようにと、自分の腕をエルの口に突っ込み、噛ませました。
わたしは、必死で彼の体をさすりました。
その瞬間、彼の口から魂が出ていくような、そんな感じがありました。
その後、呼吸が段々と浅くなり、2人の腕の中でエルは動かなくなりました。
わたしと母は泣きながら、何度も「ありがとう」と彼の体に触れました。母の腕には、彼が最後の力を振り絞った歯形がくっきりと残っていました。その痕は、まるで彼も最後まで「ありがとう」と伝えたかったように見えました。
続く。
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