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子どもが欲しいか分からないという悩み。

きっと、知らないことは、「遠い」ことなんだと思う。

目の前に、同じ年の友人がいる。友人の3人の子供たちが公園ではしゃぐ姿は、本当に幸せそうな風景で、思わず頬がゆるんだ。人は、こうした今この時にしか見ることのできない瞬間を幸せと呼ぶのだ、と心から思った。それでも、ふしぎなことに(私も子供がほしい)という感情は出てこない。そのことに劣等感を抱いたこともないけれど、欲しいかもしれないし、欲しくないかもしれない。どちらでもないまま、私は日々、働いている。

旦那との関係は良好だと思う。休日出勤や残業については多いかもしれないけれど、それは自分の中でやらないといけないなと思ってやっていることで、世間的に見たら良くないのだろうけれど、こんなにつらつら書くくらいには言い訳がましいのだけれど、働かないとお金に困ることになるだろう。

裕福とは程遠く、貧困とも違う、低所得な暮らし。モヤモヤとした中で、どこかの誰かを基準に見れば、恵まれた暮らしをしているのだろうし、友人の誰かから見れば馬車馬のような暮らしをしている。

それでも、日々、働いている。

もしかしたら、安い2DKの賃貸じゃなくて、広い一戸建てに住んでいたら、子供も欲しいのかもしれない。二人でもっと節約をして、毎日自炊をしたら、お金にも余裕があるのかもしれない。お金があったら、産みたいと思い始めるのかもしれない。ふとした時に、そんなタラレバを繰り返してみるけれど、どれもサラサラと頭の中を過ぎていくだけで、引っかかりもしない。だからきっと、幸せそうな友人とその子どもの姿を見て自分の心が満たされても、そこで終了なのかもしれない。

確かに、貯金はない。毎日朝9時から夜8時とか、遅ければ夜10時過ぎまで仕事場にいる。休日は月に6日あるけれど、イレギュラーや間に合わないものがあれば、なんだかんだ仕事場で過ごす時間も多い。期待されれば応えたいし、感謝されるなら少しくらい頑張れる。そんな性格や、根本的な要領の悪さが、今の働き方につながっているのだろう。結婚して2年経っても、私の働き方に対する姿勢は変わらないし、どちらかというと主婦業をサボり気味で、たまに旦那とけんかするくらいだ。

最近、気づくと考えていることがある。地球上にいる日本の人という種族は、このままいくとどんどん減っていくのだろう、と。自分の未来が明るくない気がするのはある程度許容済みだとして、さらに若者や子供が減れば、その子たちが大人になる頃の未来や社会保障はどうなってしまうのか。私たちが年寄りになる頃には、きっと世界は大きく変わっているのだろうけれど、日本という種族はどう変わっていくのだろうか…?

私は、今の子供たちに、もっとお金の教育を受けてほしいと思う。自分に子供はいないし、とはいえ、これから子供を作るか作らないかというはっきりした決断をする日が来るかもしれないし、死ぬまでどこかで小さなしこりみたいになって、タラレバを繰り返し続けるのかもしれないけれど、それは私個人の自由だから別にいいとして。もし、私にもっとちゃんと貯金があって、毎日毎日寝に帰るだけのような働き方をせず、家で料理をして、休みの日は旦那さんとゆっくりご飯を食べる時間をとって、贅沢でなくても心穏やかに過ごせる1日が、一ヶ月のうちに2日間だけでもあったなら。お金のことをもっとよく知っていて、目に見えない漠然とした不安と知りつつ、後回しにしがちなその感情にちゃんと向き合う時間のある生活を送っていられたならば。

そう思う度に、頭の中で無数の名無しが正論を述べてくる。大人なんだから、なにもしないまま色々言ってないで改善したらいい。旦那に稼ぎがあるだけいい。パートになればいい。転職すればいい。産みたくても産めない人もいる。こんなの贅沢な悩み。世の中には、そんなことさえ考える余裕のない人だっていっぱいいる。そう。きっと、どこかの誰かから見れば、私は恵まれているのだ。恵まれているだろうし、手放すことができるくらいには、得ているものもある。それでも、現代を生きる人の中には、私と似たのような漠然とした不安やモヤモヤを抱えながら日々を消化している、というような人だって、いるんじゃないだろうか?

子供を作るのも作らないのも、私と旦那が同じ気持ちであれば、自由なはず。そんなこと分かっているはずなのに、女性として産まれて、一人も子供を作らないということが、なぜか妙に引っかかって仕方ない。これは、人類という種としての潜在意識か何かなのか。28歳という私の身体から、何かが生成され始めたのか。それとも、ただ周りの情報に飲み込まれているだけなのだろうか。そもそも、生まれた国が違ったら、こんなことを思うこともなかったのだろうか。

わからない。分からないけれど、これだけは分かる。

毎日、仕事して、ご飯を食べて、旦那さんとちょっとした話をして、寝て、起きて。

そんな日々の中で、子供のことを考えるのは、モヤがかかったように、ひどく億劫なことなのだ。私にとって今大切なことは、仕事と旦那さんとの暮らしという現状、つまり何がどうなるか調べなければよく分からないような大きな変化ではなく、今の生活をとりあえず過ごすことなのだ。

子供を産むのに実際のところどれだけお金がかかって、どんな病院があって、なにが必要で、なんて調べる気力が沸かないというのが、きっと一番正直な感情。そう、考えるのがめんどくさいという感情。

きっと、「知らないこと」は、「遠いこと」なのだ。モヤがかかった道の先は、見辛いし、神経を使って進まなければ危険だと知っている。だから、今でもそれなりに生きている自分が、そんな危険をおかしたいと思うわけがなくて、のうのうと、ただ目の前にある仕事や日常を生きているのだ。手を伸ばせば、届く距離かもしれない。指先で調べたら、すぐ届くところにあるのかもしれない。でも、それは、日常に深く浸透した情報端末を持っていたとしても、ものすごく「遠い」と感じるものなのだ。

だから、目の前ではしゃいでいるこの子達や、これから生まれてくる子供たちには、私みたいな大人にならないよう、生きていく上で本当に必要なお金のはなしを学んでほしい。そして、今、私と同じようなことを感じている人に、一度ちゃんと知ってみよう、と思える機会を作りたい。産みたいと思い始めた人が、産みたい時に、産めるように。今はまだ学生でも、将来、いつか、子供がほしいと思うかもしれないから、その時になって、お金や制度のせいで叶えられないなんてことが、無くなるように。男の子も、女の子も、自分らしく、自分たちらしく生きる未来があってほしい。愛があれば、自分は生きていけるかもしれないけれど、子供を育てるためには、日本で子供とともに生きていくためには、現実問題がたくさんある。子供が欲しいかも欲しくないのかも分からない、お金もないめんどくさがりな私だけど、ただ、このままじゃ、私がもう少し大人になった時、きっと後悔するだろうから、このモヤモヤして厄介な問題に挑もうと決めた。

今はまだ、仕事に追われているけれど、近いうちに、本気でこの問題に取り組もう。やろう。絶対に。上手くいくかは分からないけれど、行動しないと、きっと、一生後悔するから。

モヤモヤの正体も、自分の気持ちもよく分からないままだけれど、やりたいことは出来た。28歳の私だから、ど真ん中の私だから、きっとこんな日本だから。まずは地元から良くしていこう。そうしていつの日か、日本全国に広まるように、がんばってみよう。とりとめもない長文になってしまったけれど、これは28歳の私の、決意表明だ。

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