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小さな考古学者。〜ミイラとの出会い、そしてクレオパトラの墓〜

小さい頃、世界遺産に夢中だった。
世界遺産の本を抱えて、
それぞれの世界遺産にまつわる歴史的ストーリーに胸を踊らせた。
天文時計の恐ろしい伝説。
ピサの斜塔は何故傾いてしまったのか。
知らないことを知るのは、とてもどきどきした。

歴史はもはや、わたしにとってファンタジーに近いものだった。
なのに、本当にあったこと、実在した人たちなんだと思うと、
漫画やアニメの世界とは違う、新たな興奮を覚えた。

世界遺産を通して、たくさんの国とその歴史に触れた。
とくにわたしを魅了したのは古代文明の数々だった。

独特の死生観や、その文化に好奇心をくすぐられた。
「この文明を生きた人たちは何を信じ、何を求めていたんだろう。」
神秘的のひとことでは片付けられないけれど、
とてつもなく惹きつけられたのだった。

日本における考古学の第一人者、
吉村作治さんが出演する特集番組があれば食いついて見たし、
ヒエログリフ(象形文字)の存在を知ったときは、
祖母にほしいものを聞かれて真っ先に、
「ヒエログリフの解読本!」と答えた。
祖母はぽかんとしていた。

祖母が買ってくれた解読本は、
小学生のわたしにはなかなかに難しいものだった。
けれど、一生懸命に読んだ。

王様の名前はカルトゥーシュという楕円のような線で囲むこと。
生命を表すマークは、アンクということ。
自分の名前を象形文字で書いて、図々しくも楕円で囲った。
ウア セヌウ ケメト へドゥ....
古代エジプトの数字の読み方も暗記した。
なんだか考古学者の仲間入りをしたような気分だった。

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2005年、「古代エジプト展 甦る5000年の神秘」が開催された。
ミイラが展示されると知って、母が連れて行ってくれた。
それまでも本やテレビなどで、ミイラを見たことは何度もあったけれど、
本物のミイラを目の当たりにするのは初めてだった。
初めて、「人の死」というものを見た。

2007年、「失われた文明 インカ マヤ アステカ展」では、
異なる文明のミイラと出会った。

生贄として袋に詰められた子供。
暗殺された王様。
様々なミイラと出会った。
しぼんでしまった身体とは裏腹に、しっかりと残る髪の毛。
そうか、何千年と昔に、みんな生きていたんだ。と実感した。

昨年末、開催された「特別展 ミイラ〜永遠の命を求めて〜」にも足を運んだ。

初めましてのミイラもいれば、十数年ぶりに再会したミイラもいた。

予想外だったのは、思ったよりも子ども連れのお客さんがたくさんいたこと。
お父さんと一緒に来ていた男の子は、
展示されているものひとつひとつ、目を輝かせて食い入るように見ていた。
なんだか小さい頃のわたしを見ているような感覚だった。
解説の読めない子どもに、お父さんが丁寧に説明をしていた。

(そうそう、それはカノポスと言ってね。
死者から取り出した内臓を入れておく壺なんだよ。)
心の中で、わたしも思わず説明する。

この子はどんな子に育つだろう。
少年よ、よく学べ。古代文明はロマンが詰まっているよ。

ときはまた遡り小学生時代。

先日のnoteに書いた、まつい先生のことが大好きなその頃のわたしは、
図書室にあった、集英社出版のまんが伝記シリーズにハマっていた。

小さな考古学者気取りのわたしは、
もちろん古代エジプト最後の女王、クレオパトラ7世の伝記も読んだ。
そこには、クレオパトラの弟が、戦争の最中ナイル川で溺死したと書いてあった。
これを読んだとき、「いまだ発見されていないクレオパトラの墓が、
ナイル川の底に沈んでいたら面白いのになぁ」なんて思っていたのを覚えている。

そこから何年か経って、テレビを観ていると
考古学者のザヒ博士が、こう言った。
「我々はナイル川の底にクレオパトラの墓があるんじゃないかと考えて調査しているんだ。」

心臓が跳ね上がった。

むかし、自分がなんとなく考えていたことを、
エジプト考古学で著名なザヒ博士が、今まさに、突き止めようとしていた。
同じことを考えたというだけで飛び跳ねるくらい嬉しかった。
夢のような話だった。
わたしの中の小さな考古学者が、得意げな顔をしていた。

結局、ナイル川の底からクレオパトラの墓が発見されることはなかったが、
わたしはこの出来事をずっと忘れないと思う。

考古学は長い時間をかけて、
数々の謎を解き明かしてきた。

わたしは生きているうちに、
あといくつの真実に出会えるだろう。

幼い頃に興味を持って覚えたことは、案外ずっと忘れない。

こんな楽しみを残してくれた、小さな考古学者に感謝したいと思う。

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