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いま、子どもや親をケアしている人に読んでもらいたい話。

私は、31歳から40歳までの10年間、夫の父(義父)の介護と、育児を同時進行していました。
義父は、私が嫁入りした当初からパーキンソン病を患っており、こんな症状を患っていました。

◆動作のON/OFF(数秒前まで動けていたのに、突然体を動かせなくなる) 

◆幻視(見えないはずの人や生物が見える)

◆興奮、暴力

◆流涎、失禁(尿も便も)、便秘

◆起立性低血圧(いわゆる立ちくらみ)

◆仮面様顔貌、筋固縮(表情や筋肉が固くなり、動かしにくくなる)

◆認知機能の低下(判断力や記憶力の低下)


こうした症状の結果、何が一番困ったかと言うと

① 家の中で突然、倒れたまま動けなくなっている

② 突然、杖を振り回して怒り出したり、処置を嫌がって抵抗する

③ 幻視の対象物をずっと追いかけたり、探したりする

④ あちこち汚れるので、片付けや消毒が必要

⑤ 人生に、楽しみよりも絶望感が強くなってしまう


介護をする中で、困った「行動」としては、①~④が挙げられますが、
もっとも根深い問題としては⑤だったと思います。

認知症の方、不治の病をお持ちの方、そのほか何らかの理由で自分が自由に使える時間を奪われている方は、⑤が強くなってしまい、そのことでがらりと人格が変わってしまうことがあります。

具体的には、
▲悲観的になり、
▲非難する言葉が多くなり
▲身の周りのことに無頓着になり
▲怒りっぽくなり
▲暴言がひどくなり
▲暴力が出ることもある

以前は、どんなに穏やかで明るかった人でも、絶望するとそうなる。
それほど、「自分が思うような人生が送れない」ことは、人間を歪めてしまう。

逆に言えば、

少しの間でも、自分が「楽しい」「嬉しい」と思える時間を作ることが、人生を支えてくれる


ということでもあると思います。



💗💗💗



ケアをする人=ケアラー
は、常にケアする人の顔色、声色、反応へ気を遣っているので、それだけで神経をすり減らしてしまうのですが、

「ケアを提供することで、自分がダメージを受けている」という感覚を持てない、あるいは、「持ってはいけない」と思っているケアラーが一定数、いらっしゃるのではないかと思います。

「本当は疲れきっている」「ケアを嫌だと思う気持ちに罪悪感を感じてしまう」ことがあっても、「助けを求めよう」という発想にすら至らないこともあります。


なので、ケアラーに大切なのは

① 「つらい」「しんどい」と思っていることを、自覚する

② ケアのつらさやしんどさを話せる機会、場所をつくる(場所が移動できなければ、電話やメールのやり取りでも可)

③ 介護サービスや訪問看護などを利用し、自分以外の人がケアに関わる機会をつくる

④ 短い時間でも、ケアの対象者と離れた空間で、自分のやりたいことをする機会をもつ


特に④の、「ケアの対象者とは離れた空間で」というのが大事かと思います。

ケアを必要とする相手によっては、1秒たりとも目を離せない、という場合もあるかと思いますが、必ずどこかで落ち着く時間帯があると思うので

そういうときにちょっとだけ
🔴隣の部屋へ移動する
🔴トイレに行ってみる
🔴ベランダへ出てみる
🔴玄関の外へ出てみる

何か反応があれば、すぐに対応できる「個の空間」に身を置いて、自分の気持ちと体だけに集中してみる。

そういう時間があることで、「相手と自分は違う人間である」ということを、改めて認識できます。

もちろん、人手が多いほど相談相手は増えますし、自分の時間も持てるので、そのためのサービス活用とも言えます。ただ、他人が家の中へ入ることへ抵抗感のある方もいらっしゃるので、その場合は自分だけの空間・時間を持つことが必要になってきます。


💗💗💗


ケアをする人は、相手のケアに自分の人生を捧げてしまいがちです。


それは、育児にしろ介護にしろ同じこと。

特に、育児については「自分の人生を捧げる価値がある」と思われる喜びや感動もあるでしょうし、「親ならば人生を捧げて子育てをするべき」という周りからのプレッシャーもあるでしょう。

しかし、過剰なプレッシャーはそのまま、ケアする相手に圧しかかることがあります。

「どうして、私の思うとおりに育たないの」
「こんな子に育てたつもりはないのに」
「あなたは、私を裏切った」

こんな言葉を、子へかけてしまう親がいることも事実です。
これは、「親である私と、子どもは別の人間である」と認識できていない、
あるいは、「子どもへ自分の人生を奪われた」と思っている親が投げつけてしまう言葉。

介護にしても、同じことです。
「ケアラー」が過剰に「ケアする人」へ寄り添い続けた結果、悲しい出来事が起きてしまうことがあります。

ケアラーは、ケアする相手の存在を、自分の人生の生きがいにしてはいけません。

冷たい言い方かもしれませんが、あなたには、あなたの人生があります。

ケアをしなくて良かった人生、
これから先ケアが必要なくなった人生に、
あなたがしたかったこと、したいことを、
「今」しておく必要があるのです。

どんなに小さなことであっても。
好きな動画を見るとか、本を読むとか、歌を歌うとか、絵を描いてみるとか、詩や文章を書いてみるとか。誰かと話してみるとか。

なぜなら、あなたの人生は、あなたのものだから。


ケアは、いつか、終わりが来ます。
そのときは永遠にも思えますが、いつか終わります。
育児にしても、介護にしても。

そのときに、自分の人生を「育てて」おかないと、ケアしていた相手を逆恨みしたり、立場が逆転して「相手に今度は自分をケアしてもらおう」という態度になったりします。

それは、「相手の人生を利用している」だけに過ぎません。
第一、そんな人生で幸せな気持ちにはなれないことが多い。

「ケアラーとしての人生」を、ただ我慢して、憎しみや苦しみだけを大きくする時間にしてほしくない。

つらいことは沢山ありますが、「自分を大切にして、育てる」時間にもすることはできます。そうして育んだ時間と経験と人間関係は、ケアラーとして大変な経験を積んだあと、大きな幸せと楽しみを、あなたの人生にもたらしてくれることでしょう。


  • でも、しんどくて時間もないのに、どうやってそんな時間をつくったらいいの?

  • 自分が何をしたいかも分からないから、ケアに集中していた方が楽

という方へ。

「自分の人生を育む方法」について、また次回の記事でお伝えしていけたらと思います。





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