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今日も、読書。 |信念と時代の狭間で

カズオ・イシグロ|浮世の画家


戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。多くの弟子に囲まれ、大いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えたとたんに周囲の目は冷たくなった。弟子や義理の息子からはそしりを受け、末娘の縁談は進まない。小野は引退し、屋敷に籠りがちに。自分の画業のせいなのか……。老画家は過去を回想しながら、みずからが貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れる—―ウィットブレッド賞に輝く著者の出世作。

あらすじ


カズオ・イシグロさんといえば、2017年にノーベル文学賞を受賞したことで有名だ。長崎で生まれ、幼少期にイギリスへ渡り、以来英語で小説を執筆している。日本にルーツを持つ作家がノーベル文学賞を受賞したということで、当時非常に話題になった。

『わたしを離さないで』『日の名残り』といった彼の代表作に、「日本」の要素はあまり見られない。しかしデビューしたばかりの頃は、日本にルーツを持つことを活かした作品を書いている。

『浮世の画家』は1986年に出版された2作目の長編小説であり、戦後の長崎(と思われる街)が舞台になっている。ノーベル文学賞は、「越境文学」と呼ばれる多様なルーツを持つ作風の作家が受賞する傾向にある。イシグロさんも、その要素を有していると言える。


『浮世の画家』は、日本版『日の名残り』といった印象だ。

『日の名残り』は、かつて名家に仕えていた英国紳士が過去の栄光を回想するという筋書き。イギリス最高峰の文学賞とも言われる、ブッカー賞を受賞している。イシグロさんの文壇での評価を一気に押し上げた作品であるが、それ以前に書かれた『浮世の画家』の時点で、既に『日の名残り』の片鱗が見える。

因みに、『浮世の画家』で受賞したウィットブレッド賞(現在はコスタ賞に改名)も、英国の非常に権威ある文学賞だ。これを2作目の長編で受賞するのだからすごい。


『浮世の画家』は、戦時中に名声を得た画家・小野益次の1人称視点で描かれる。イシグロさんが得意とする手法だ。ある人物の1人称視点で過去の出来事を回想し、現在との関係性や、ギャップを浮き彫りにしていく。

小野は戦時中、自らの画業を通じて、戦争を鼓舞する活動を行っていた。戦争が終わり、世の中の価値観が一変すると、かつての活動が間違ったものであったという罪を突きつけられることになる。

小野は、表面的には物分かり良く、自身の過去の過ちを認めている。しかし、彼の言動の端々や、過去を回想する際の言い回しからは、本心では過去の栄光への誇りや、信念を貫いたことへの優越感が滲み出ている。読者には、それがわかる。世間の価値観が移り変わっていく中で、古い価値観を捨てきれない小野が、現実から取り残されていく様子が描かれている。


イシグロさんの巧いところは、全編が小野の1人称視点で語られるために、彼の本心が作為的に隠され、読者は行間や会話文から、ギャップを感じ取る構図になっている点である。

小野は根底では、自身の考えが正しいと信じている。過去の回想には曖昧な部分が多く、彼の脳内で、都合良く改変されている疑いがある。

読者はどうしても、彼の視点で物語を読まざるを得ない。そのため、彼の「信頼できない語り」の中に、じわりじわりと違和感を感じ取るのである。

小野の眼を通じて描かれた世界を、「いや、実はこうなんじゃないか」と、読者は再構築する。この営みが、カズオ・イシグロ作品を読むとき特有の、あの不思議な面白さを生む。


本作には、戦後日本の退廃的な雰囲気や、どこかノスタルジックな感じが漂っている。

5歳で日本からイギリスに渡った著者にとっては、『浮世の画家』で描かれる日本は、「想像上の日本」のはずだ(実際に幾度か日本を訪れたことはあったかもしれないが)。にもかかわらず、日本人の私が本作を読み、郷愁的な気持ちを感じられるのは、すごいことではないか。

ストーリーテラーとしてのイシグロさんの豊かな想像力、確固たる文章力が読者を魅了し、彼が生み出した「日本」へと誘う。イシグロさんの作品が、世界中にファンを持つことにも頷ける。



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