電車の中吊り広告を見ながら見出しの意味をぼんやり考える、街を行き交う人々の表情に何かを感じとる、そうしたごく日常的な活動が、じつは記号の解釈にもとづいた推論のプロセスであるのです。 2020/08/19

 朝軽く走りに行こうとしたら、fitbitとBluetoothイアホンの両方電源が入らない。同時に壊れた。まぁかなり長らく使っていたので致し方ないのだと思うのだけど、という訳で、買い替えが必要である。会社の先輩でランナーにガーミンをお勧めされたので、お勧めされた機種を買うことにした。六本木ヒルズの森美術館でやっている「STARS展」がめっちゃ空いていると聞いて仕事終わりにふらりと立ち寄ったのだけど、本当に空いていて最高だった。

 石田英敬『記号論講義』をちびちび読んでいる。日常は記号にあふれていて、僕らは常に記号を解釈して推論し続けている。このプロトコルがあってないと、コミュニケーションがうまく成立しないのだけど⋯⋯。大事なことほど解釈の余地のないくらい明確な記号で発信しないといけない気がする。気を遣ってまどろっこしい言い方をする人はかえってコミュニケーションを難しくしている側面があると思うし、伝わらないと結局苦しいの自分じゃない?という感じがするので大事なところほどストレートに行った方が良いと思うタイプ。当店は、いきなりストレート。

 論理というと何か難しい活動のように思えますが、私たちの日常の精神活動はじつはたえざる推論から成り立っていて、その記号活動を取りだしてみればさまざまな演輝や帰納や仮説形成などあらゆる種類の解釈の連鎖からできあがっているのです。出かけようとして空模様を一瞬ながめやる、ずいぶんご無沙汰している知り合いから電話がかかってきて 「なぜ電話してきたのだろう」と考える、電車の中吊り広告を見ながら見出しの意味をぼんやり考える、街を行き交う人々の表情に何かを感じとる、そうしたごく日常的な活動が、じつは記号の解釈にもとづいた推論のプロセスであるのです。
石田英敬『記号論講義』P.135

 しかし、小説とかを読み解くのに、あまりにも解釈しようとするのはあんまり好きではないというか下手すると衒学的になるんだよなぁ、とも思う訳で、塩梅が難しい。ただ、解釈ってある種の快楽なんだよな。

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