言葉は愛を生み出すためではなく人々を分裂させ憎悪を掻き立てるためにあり、言葉は交わせば交わすほど人を分かつ 2020/08/02
セミの音がする。日曜日。晴れ。8月。
朝から長女のプールの送りをし、スタバで本を読みながら待ち、別のカフェに移動してまた二人でお茶をしながら読書をするのだけど、ビールが飲めるカフェの営業時間がコロナの影響で変更されてしまい、ずっとコーヒーを飲み続ける羽目になってしまっているので、最後は少し残した。
2軒目のカフェには年はいってそうなんだけど、なんかギラついているというか、妙な違和感を感じる男性がいて、本を読んでいたのだけど、それは春樹の新作で、なんとなく春樹の新作読んでいますって感じの出で立ちだったので、あぁ、春樹の新作を読んでいる人だなぁと思って見ていた。こういうタイプの人はカバーをかけずに読む。私はカバーをかけて読む。一人称単数。私。
先日成城石井で買った「BACKSTORY」というワインが1500円程度なんだけど美味しくて、果実味が凝縮した重めの赤ワインが好きな自分にはこれでもう大満足。カベルネの2018年で、以前2017年を飲んだ時も美味しかったのだけど、さらにガッツリきている気がするので未来の自分に対してコスパ最高の美味しい赤ワインを飲みたくなったらこのワインを思い出せ、と念じながら書いている。
8月に入ったということは『あつまれ どうぶつの森』もまた新たな月を迎えたわけで、夜は島で開催された花火大会を娘と一緒に眺めていた。つくづくコロナ禍で失われたものがゲームの中で再現されている感、この時代というか現実とあまりにもマッチしてしまったゲーム体験ってのは後にも先にももうないだろうなと思って娘が夢中になっている姿を見ている。
ゲーム内には「とたけけ」というミュージシャンがいて、彼が出している音源を手に入れるとBGMとして再生できるのだけど、古今東西のあらゆる音楽ジャンルが用意されていて、娘にスカってなーに?と聞かれたので、SPECIALSの「MONKEY MAN」を聴かせるなどしつつ、YouTubeを掘っていたら、本人のライブ映像や、Amy Winehouseのカバー映像などが出てきたので楽しくて思わず貼ってしまう。
いろんな音楽に興味を持って聞いてくれると楽しくなるな、すぐにさっと差し出せる質、量ともにいけてるライブラリーがあるぞよ。
ミシェル・ウェルベック『セロトニン』を読んだ。モテない中年の呪詛のような小説なのだけど、なんとなく本当に大切なことをとりこぼしていくような男というか、あぁ、それには気づいてなかった、みたいな感じでどこかずれているような46歳の男、フロラン。いきなりそんなことを感じたのは、朝からずっとコーヒーを飲んでやや胃もたれを感じながら読んでた冒頭のくだりからだった。
起きて最初にする仕草は、電動コーヒーメーカーのスイッチを入れること。前日、コーヒーメーカーに水とコーヒー豆の挽いたもの(豆のブランドはマロンゴ、昔からコーヒーには割とうるさいのだ)を入れたフィルターを設置しておく。コーヒーを一口飲んでから初めてタバコに火をつける。これは自分だけの規則で、これさえうまくいけば今日一日はまず大丈夫と思え、それが自分の気持ちの拠り所になっていた(電動だと早くコーヒーが滝れられることをここに自状しておく)。
ミシェル・ウェルベック『セロトニン』P.3
コーヒーにちょっとこだわりを持っている男としての独白であり、こだわりを持っているという割には電動かよというツッコミを予め回避するような一言も添えられる、ある程度自分を客観視することもできる知性も感じられる男だってことがわかる一節なのだけど、問題はそこではなくて、挽いた豆を、粉の状態で一晩放置しておくことの方が酸化が進み、コーヒーにとっては致命的で本質的な価値を損なう行為なのだけど、そのことに関しては考えが及ばないというか、思いもよらないという感じなのだろうな、というこの感覚のズレこそがフロランの横を幸せが通り過ぎていった、というか通り過ぎるままに任せてしまう彼の人間性をよく表しているような気がして、この冒頭の数行の描写にめちゃくちゃ感心してしまったのだった。
あるいは、コーヒーに求めているのはカフェインという化学物質であって、味や香りではなく、タバコに求めているのはニコチンという化学物質(彼はタバコの銘柄やそのこだわりに関しては全く言及しない、ただ、吸えればよくて、禁煙のホテルだけは耐えられないのだ)であり、「幸福」ではない私に現代社会が処方するのは「セロトニン」という化学物質なわけで、徹頭徹尾その表面的で化学的な処方ってのが最初から暗示されているとも言える。そしてその「セロトニン」の副作用によって性的に不能になり、女性に求めている「セックス」をも失い関係性を作れなくなる。幸福を感じさせてくれるはずの物質は、幸福にはしてくれず、孤独を深めるだけなんだっていうこの作品の全てがこの冒頭に凝縮されているではないかっていう、文章の多義的で重層的な情報量に圧倒されるというか、面白い。
愛する者が同じ言語を話すのは都合が悪く、言葉によって交流し真の相互理解ができるのは良くない、言葉は愛を生み出すためではなく人々を分裂させ憎悪を掻き立てるためにあり、言葉は交わせば交わすほど人を分かつが、ほとんど言語でないようなたわいのない愛の言葉、飼い犬に話しかけるように相手の男や女に話すことで、無条件に続く愛が作り上げられる。シンプルで具体的な話題に言葉を制限することができればーー車庫のキーはどこ? とか、電気屋さんは何時にくるの? とかであれば、まだ救われるかもしれないが、そこから先は統一を妨げ、愛を壊し、離婚に至る領域が広がっているのだ。
ミシェル・ウェルベック『セロトニン』P.77
確かに話せば話すほどすれ違うものなのかもしれないのでなるべく引きこもって本を読みながら過ごしていたい。
自分の好きなことを表明すると、気の合う仲間が集まってくるらしい。とりあえず、読んでくれた人に感謝、スキ押してくれた人に大感謝、あなたのスキが次を書くモチベーションです。サポートはいわゆる投げ銭。noteの会員じゃなくてもできるらしい。そんな奇特な人には超大感謝&幸せを祈ります。