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まちと、ひとと、そのストーリー。

ドイツの首都ベルリンには、1923年にオープンし2008年の10月に閉鎖された「テンペルホーフ空港」があります。

この空港は、建築家になりたかったというヒトラーの「世界首都ゲルマニア計画」の一環で建設され、現在でも残っている数少ない建造物のひとつ。ナチス様式の本館は、長さ1230mという世界最大級の建築物です。

また、ナチスドイツが戦争に敗れた後、1948年6月から約1年間、ソ連がベルリン市内のアメリカ・イギリス・フランス管理地区への陸上交通を封鎖。それに対抗して、アメリカ軍が、このテンペルホーフ空港を介し、約27万回の飛行によって食糧や石炭などの生活必需品を輸送機のみで送り続けたそうです。これが、「ベルリン大空輸」。
このベルリン封鎖の間、ベルリンのこどもたちのために、レーズンをはじめとするお菓子が手作りのパラシュートにつけてられてテンペルホーフ空港の近くで輸送機の窓から落とされていたそうです。それが、「Rosinenbomber/ロジーネンボンバー(レーズンを落とす爆撃機)」。

そんな歴史で有名なテンペルホーフ空港。閉鎖後の現在は、空港の建物はイベント会場やワクチン接種センター等としても利用され、滑走路だった場所は、とてもとても大きな公園のようになっていて、市民の憩いの場となっています。
ロジーネンボンバーも残されています。

前置きが長くなりましたが、テンペルホーフ空港で開催されていた「Living the City」という展示に行ってきました。

連邦建設・都市開発省による都市開発政策の一環として行われた、いろいろなまちのプロジェクトやいろいろな人の暮らしやストーリーの展示です。
入場は、無料。
ウェブサイトでも、「Loving」「Living」「Making」「Participating」「Learning」「Playing」「Moving」「Dreaming」に分かれてそれぞれのプロジェクトの内容が詳しく紹介されています。

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展示会場の様子です。
チェックインカウンターだったところもそのまま残されています。

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そして、展示内容。
まずは「Loving|愛」のカテゴリーから。

こちらは、「Small Fortified Buildings|要塞化された小さな家」。
不動産業界と土地開発へ抵抗する砦のようにトルコのイスタンブールに実際に立っている家のモデルです。建設省の暗黙の承認を得たたくさんの自作の住宅が、2012年に法律が可決されて以来、地震安全規制を満たしていないために解体されているそうです。この変化は、 近隣住民と市議会または不動産会社との間長い長い闘いになっているそうです。

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そしてこちらが、実際のお家を撮影したもの。動画が上映されていました。
モデルを見てもギョッとしましたが、実際の映像を見てみると、家とここに住む権利を守ろうとする頑なな想いと、それを脅かす大きな力との闘いの様子が更に伝わってきます。

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このように、プロジェクトの内容を、様々なアーティストたちが作品として形にしたものを通して見られるのも、この展示のおもしろい点でした。


そしてこちらは、「Swim City|スイムシティ」。
この映像作品「スイムシティ」は、街に住むみんなの幸せにとって川がいかに重要であるかを示しています。 ウィーンのドナウ川浴場でも、トビリシの植物園でも、バーゼルやチューリッヒの川でも、暖かい日でも寒い日でもどこでも人々が水に飛び込むそうです。川岸がどんどん個人所有のプライベートな場所になってしまっていることに反対し、川はみんなが自由にアクセスできる場所であるべきであり、また生態サイクルにとっても大切な役割を担っているのだというメッセージも込められています。

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私が立っている後ろで映像が流れていて、正面の大きな鏡にその映像と自分が映るので、川の中にいるような気分になれます。一緒に泳ぐフリをしてみたり、ボール遊びに参加する真似をしたりしながら友達と動画を撮って遊びました。


「Loving|愛」のカテゴリーからもう一つ。
Associazione Città Futura - Piace|未来都市協会 - リアーチェ」。

こちらは、難民受け入れのモデルプロジェクトとして紹介されています。

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1998年、 イタリア南東海岸の街リアーチェに、に数百人のクルド人を乗せたボートが座礁しました。元教師で未来都市協会の共同設立者ドメニコ・ルカーノさんは、援助団体と協力してアフガニスタン、イラク、エリトリア、パレスチナ、レバノンからの難民を受け入れ、地元住民とともに空き家を修繕したそうです。しかしルカーノさんは数年後に残念ながら職権乱用で告発され、プロジェクトは中止、リアーチェを離れなければならなくなりました。このルカーノさんの逮捕に約6,000人が抗議。ルカーノさんは街に戻ってくることができ、2004年にリアーチェの市長になって、歓迎の文化を確立したそうです。彼は地元住民と協力し、難民の経済的搾取と社会的排除に反対し、また観光客をこの地域に呼び寄せるために、「Associazione Città Futura|未来都市協会 」設立しました。

約20カ国から6,000人以上の難民が長年にわたってリアーチェを通過したと言われています。

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告発され逮捕されても、また戻って来て難民受け入れの活動を続けたルカーノさん。それに賛同したたくさんの地元の人たち。
この優しい笑顔の奥にある熱い想いと強さが伝わってきます。


そして、「Living|生きる」のカテゴリーからも、ひとつ。

こちらは、「Homo Urbanus|都市の人々」。
ボゴタとサンクトペテルブルク、ラバトとソウル、ナポリと東京、ドーハと上海、京都とヴェネツィアで撮影された映像作品です。釣り、掃除、踊り、そして笑いといった、 ろいろな都市の人々の日常生活。 

このシーンでは、男性がゴム手袋をはめた手で少年の歯を磨き、歯磨き粉の宣伝をしています。ひたすら話し続ける姿に思わず笑ってしまいました。

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そして私が気になるのはやっぱり、こどもたちが遊んでいる姿。
メンコのようなもので遊んでいました。

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こちらでは、みんなでサッカー。このすぐ後のシーンでおじさんに怒られていました。家のすぐそばでボールを蹴っていたからでしょうか。

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大人の遊んでいる様子も見られました。この人たちは、手作りのボードゲームらしきものに夢中になっています。

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そして、「Making|つくる」のカテゴリーから、「Urban Space 100|都市空間100」。ウクライナの、ちょっと変わった「街のキッチン」の形です。

2008年の夏に数人の若者たちがウクライナの首都のキエフからイバノ-フランコフスクに移り、TepleMistoやWarmCityを設立しました。現在約60の地元企業を含むネットワークだそうです。100人もの人たちが共同出資者としてUrban Space 100プロジェクトに参加し、レストランは、グループの活動のプラットフォームのひとつになり、出会いや意見交換の場として機能しています。Urban Space 100のレストランの利益の一部は、文化遺産の改修、医療施設用のコンピューターの調達、こども向けのコンピューターワークショップ、プラスチックのリサイクルステーションなど、市民社会によって開始されたさまざまな都市プロジェクトの資金として利益の一部を提供しているそうです。

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数人の、しかも都市からやってきた若者たちの活動にたくさんの人たちが賛同し、みんなで明るく楽しい街にしていく。素敵なアイデアを持って行動を続けていけば、そのポジティブな波紋がどんどん広がっていくんですね。


そして、「Learning|学ぶ」のカテゴリーから、「World City|世界都市」。

イラン、シリア、モロッコ、パキスタンから来た難民のこどもや若者、大人たちがつくった記憶と夢の約150の家からできたモデル都市です。現在残念ながらまだほとんど現実とはなっていない、国境のない未来や対話のプロセスとしての都市への夢を表した世界都市。

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写真ではなかなか伝わりづらいですが、この世界都市の目の前に立って見ると、圧倒されます。

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そしてこちらは、「Playing|遊び」から、遊んでいるこどもたちの写真。

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他にも紹介したいおもしろいプロジェクトがまだまだたくさん。
展示会場には2時間半いましたが、それでは時間が足りなくて、また集中力が途切れてしまって、しっかり見られなかったプロジェクトもありました。

自分が今住んでいる街や地区、そして満足できる居住環境にあること、毎日遊んだり笑ったりして過ごせていること、これから遊びの環境やまちづくりに関することでやっていきたいことなど、さらにじっくりと考えるありがたい機会になりました。

まちづくりや世界の人々の暮らし、そこに見え隠れする想いやストーリーに興味のある方は、ぜひ他のプロジェクトも見てみてください。
→「Living the City


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