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猫の「撫でれる化」と杞憂

今日は猫の「撫でれる化」が急ピッチで進んでいることについて話したい。
過去の記事でも触れたとおり、うちには2匹の猫(共に保護猫)がいる。

▼先住猫(5歳男子・キジ白)についての記事

▼新入り猫(1歳男子・キジトラ)についての記事

今回は先住猫についての話だ。
先の記事では、この先住くんがうちに来て約1年半・5月頃の話について書いている。5月は彼の誕生月でもあり、5歳となったブランニュー先住くんは今までにない”余裕”を見せ、「人間のタッチ」を許すだけでなく、初の「喉ゴロゴロ」まで披露したのだ。
そしてあれ以来、先住くんの「撫でれる化」が著しく進んでいるのである。

つまり、ドンドン彼を撫でられるようになっているのだ。…と、冷静に文章にしてはいるが、心の中では大興奮である。だって、彼はこの1年間半ほとんど”家庭内野良(一緒に生活しているのに触れない猫)”だったし、それだけ臆病で繊細な心の持ち主だったからだ。
うちにやってきた当初、性急に距離を縮めようとしたのも彼に負担をかけてしまったのかもしれない。だから、彼のペースに合わせることを心掛け生活していた。そのうち、ただ一緒に生活してくれることそのものに尊さと感謝を覚えるようになった。
触れなくてもいいし、触れるようになるとしても、それは10年先のことかもしれない。もしかしたら、一生触れないのかもしれない。だとしても、この猫のことが大好きだから、まあいいか。そんな感じだった。

けれど、5歳の誕生日を迎えて以降、彼は少しずつ変わっていった。それはもしかしたら、後から入ってきた人懐っこい新入り猫の影響もあるのかもしれない。日ごとに先住くんを撫でられる時間が長くなり、はじめは嫌がっていた頭や顔まわりも気持ちよく撫でられるようになり、そして今では「撫でてくれ」とわたしの前にお座りするまでになったのだ。

この急速な変化が、打ち震えるほど幸せであったことに間違いはないのだが、と同時に一抹の不安も覚えた。
これまであまりにも触れることができなかった猫だ。もしかしたらわたしは「触れないツンデレな姿」に惹かれていたのではないか?それが「触れる猫」になって、わたしの気持ちが離れてしまったらどうしよう?
――しかし、それはそれはまったくの杞憂であった。
撫でれば撫でるほど猫のことが好きになるし、彼が「撫でてくれ」と言えば何度だってずっとずっと撫でてしまう。こんなに好きな猫がナデナデできるようになったんだから、さらこの猫のことが好きになるに決まっている。なんともくだらない不安を覚えたものだ。

それに実際のところ、100%の確率で猫を撫でられるわけではない。猫を撫でられるのは、わたしが”食事をするテーブルの前に座っているとき”だけ。そうすると、テーブルの下にいた猫がにゅっと出てきて、わたしの向かって右側に鎮座することになる。互いがこのポジションにいるときのみ、わたしは猫をナデナデできるのだ。出窓のところにいるときに撫でようとすると逃げられるし、つまりテーブル付近以外では普通に嫌がられる。
それにすぐに手でタッチするのもNGだ。手で触れる前に、猫の頭や背中を孫の手で優しく撫でる、という工程を挟まないと、スムーズに直撫でを遂行できない。
結局のところ、この猫ならではの気難しさやこだわりの強さは何ら変わりなく、そこがまた、たまらなく好きだった。

「撫でれる化」がさらに進んだ先には、今度は何があるのだろう。抱っこかな、添い寝かな。そんな風な楽しい想像をしながら、今日もありがたく猫をナデナデする。

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