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神格化される医者達〜医学生の見解〜

近年はまだマシになってきたと聞くが、それでもまだ根強く残っている「医者を神格化する人々」。これはなにも医者を社会的強者として扱う旧知の概念だけではない。医師は絶対的な倫理観をもっていると信じているひともこの人々に含まれると考えている。

以前の記事でも書いたが、医者は命を救う仕事ではない。可能な限り正確な診断または病態把握をして、患者さんにとって最もメリットが大きくなる治療方針を決め、それを実行する上での司令塔の役割だ。だから究極的なことを言ってしまうと、どんなにステージが進んだ患者さんであっても医師が施す治療は患者さんを見放したものであるはずがないのだ、緩和治療だって患者さんのメリットが最大になるように決めた結果の治療方針なのだから。(理想論かもしれないが)

時々、先生に見放された!という患者さんがいるが、殆どは医者の説明不足かコミュニケーション不足が原因で、医者が考えていることが患者さんに上手く伝わっていない事が背景にある。よって、医者が患者さんの置かれた状況を確実に判断し根気よく説明を続けて行くことでいくらでもこのような事象は減らして行けるのではないかと考えている(無論、今の日本の医者にそこまでのクオリティを持ちながら診療をする時間の余裕も心の余裕も作れない労働状況に問題もあるかもしれないが)。

そしてこのとき、医者には倫理観が求められるかどうか、が今回のテーマである。「医者なんだからそんな行動は慎むべきだ」というセリフは医学生である私達もすでに大学から言われ続けている言葉であるし、世間からもよく聞こえてくる。しかし、ここで思うのは「じゃあ医者って何だよ」という一言である。これは人によって医者に対してのイメージが違うだろうとか、もちろんそんな簡単な話ではない。

医師はボランティアで医療をやっているのではない。国民ならだれでも平等に医療を受けることができる日本にいるとなかなか感じることはないかもしれないが、医者だってお金が発生しない仕事はしたくないし、あくまで仕事としてプロ意識をもって医療をやっているのだろう。給料が高く立地がいい病院が初期研修病院として人気になるのも納得できる結果である。

これを考えると医者に高い倫理観があるかどうか、それほど重要なことではないのではないかと思えてならない。だって、あくまで仕事だからだ。もちろん、ハイクオリティの倫理観もあったほうがいいかもしれない。しかしそれよりも「プロ」として「仕事」をするという責任感のほうが遥かに必要なのではないかと思ってしまうのだ。

この責任感があることで、給料(時給600円くらいの医者もいるが…)に見合う仕事をしなくてはならないと思うだろうし、患者さんに期待を寄せられるぶんの倫理観をもって治療をしてくべきと思うだろうし、患者さんのメリットを最大まで引き延ばそうとする真摯な姿勢も生まれて来るだろう。倫理観しかないと目先の感情に振り回されて、その場は良くても結果的に患者さんの望まない結論になってしまうのではないかと思えてならないのだ。

倫理観が必要ないとは絶対に思わない。しかし、普通の倫理観さえあれば医師になるには十分だと思うのだ。そもそも、そんなに高い倫理観を持っている人間をコンスタントに毎年9000人以上(医師国家試験合格者数)も排出するなんてとてもではないが非現実的だ。ちなみに倫理観と一口に言っても、立場によって必要な倫理観が違うだろう。小さな町の診療所と街の大きな病院の診療科長をしている人物がそれぞれ守るものは違うはずだ。

責任感だけあって倫理観を持ち合わせていない人物はどうなるのかという議論については、基本的には医者になるまでの間に振り落とされている可能性が高いのではないかと考えている。医者になれないほどの低い倫理観なら大学に進学することも難しいかもしれないし、医学部に入ったあとに何かしらの形で脱落していくのを何度も見ている(留年とか事件を起こして退学処分とか)。

だから、一般の方が医師に向ける高い倫理観に対しての期待をわざと裏切るようなことはしなくてもいいとは思うが、自らその固定観念で首を締めるようなことにはなりたくないと考えてしまう今日このごろだ。

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