うっかりの力
昨日「現実」がテーマのウェビナーで聞いた伊藤亜紗さん(美学)のお話で
印象的だった箇所を紹介します。
ある有名な”コミュニケーションの専門家”と対談をする機会があった。
その方のお話が、ご自身の著書の内容をそのまんま語るような形で
伊藤さんはなんか寂しさを感じた。
「え、一期一会の、わたしがいる意味…」てなったそうです。
対談なのに、話し相手である自分がまったく介入できない感じで
なんか傷ついた、と。
これすごいわかる気がしました。
人と喋ってて、会話のための会話になることがあります。
お互いの目的が「私たち仲良しだよね」ということを確認するためで一致していたら問題ないのですが、喋っていくうちに何がうまれるだろう?みたいなモードの時に、相手が自身の立場を固める以外の話の進み方をゆるさない場合、なんか残念に感じる。
それは、ずっと聞き役なのが嫌だからではなく
自己完結していることが伝わってくるからです。
私の世界に入ってこないで、私は変わるつもりないから、という自己完結は、悪いことではないと思います。だけどそれだったら、話し相手って要らない。一緒にいるのに「あなた要らない」みたいな圧を感じると、これは何の時間だろう、ってなる。
交わりの拒否。私もやってる時あります。そういう時はなんか、用意した結論にもっていくことや、自分の立場を一貫させることに必死。ほんとは、相手と関わる中で意外なものが出てきたら楽しいのに、それは困る!てなってる。
”こうあるべき流れ”から逸れて、今までの自分ではいられなくなることに、心開いていたいと思う。
って、警戒心強いから難しいんだけど。
伊藤さんは「うっかりの力が新しいものを生む」って言ってて、確かにそうだと思いました。もっと不注意でいいのだと。
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