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京都でのAesther Changの展覧会を終えて──言葉にしておきたいこと
大きな出来事があると、ちゃんと書かねば……と思いながらも、気持ちの整理が付けられないままに1週間、1ヶ月、半年……と過ぎてすっかり風化してしまうことがままあるのだけれど、これはちゃんと言葉に残しておかなきゃいけない。
企画、運営を担当させていただいた京都でのAesther Chang個展は、6月28日からの3日間、良い形で会期を終えることが叶いました。お越しくださったみなさま、本当にありがとうご
写真について考える大切なこと
ひと昔前の世代の人々の暮らしには、当たり前のようにフィルムカメラが存在していました。誰もがカメラにフィルムを装填することから始め、街の写真屋さんで現像し、プリントをしていたのです。ふつうの人たちが写真にそれなりの時間を注いでいた時代だったのです。
しかし、現在はデジタルカメラや携帯電話の普及によりシャッターの回数が増えていく一方で、写真一枚に注ぐ時間がどんどん少なくなっている気がしてなりません。
言葉にすることをあきらめない
心のどこかで何か違うと感じながらとりあえず身近にある言葉を発してみたり、使いこなせない流行りの言葉に気持ちを託してみたり、それでもうまく言葉にできずに黙り込んでしまったり、そういうことはありませんか?
ものすごいスピードで過ぎていく毎日のなかで、新しい言葉がどんどん生まれています。その意味をゆっくりと消化する暇もないまま、反対に長く使ってきたはずの言葉の意味でさえ変わっていることに気づいて戸惑う
世界を見つけるということ
「木洩れ陽」が好きでよく撮ります。美しいですよね。木々の隙間から光が射して映し出されたそれ。風に揺れるとまるで小さな子供たちがダンスしているようにも見えます。この言葉を生み出した豊かな感性に憧れます。ところで英語では「木洩れ陽」を一言で表せられないそうです。
英語では ”sunlight filters through the trees” のようなセンテンスで表現されるそうです。同じように日本
シャッターは愛、ゆえに残酷
シャッターは愛の告白だと思いませんか? その世界への、その時間への、その人への。しかし、ゆえに等しく残酷でもあるのです。
わたしたちはふだん興味のあるものや好きなものだけを撮っています。そうでないものにカメラを向けることはあまりないはずです。とくに意図がなければ日常におけるほとんどの場合、写真とはそういうものですよね。その意味でシャッターはわかりやすい愛情表現だったりします。切るたびに「好きです