アーティストはどう選択すべきか?
正直、私はバズらせるコンテンツを築くのは得意な方だ。
いかに人を驚かせるか、予測不可能な意表のつき方を常に頭の中で考えているから。
無意識に、「これとこれ組み合わせて、エンタメ要素や賛否両論を巻き起こすコンテンツを作り、あとは絶妙なタイミングで、スイッチを押せば人の心を揺さぶれる。」と考えてしまう。
美術、コスメ、経済系など様々なジャンルで、匿名と匿名でない場合両方含めて、反応数の高いコンテンツを築いてきた。FBページでは、一つの投稿(スマートフォンで描いた絵)で100万いいねいくなどした。
だけど、バズるだけでは意味がない、そう断言できる。きっかけにはなる。沢山依頼が来る。短期的に売りぬけることもできるだろう。だけど、長期的に関わっていきたいなら、コンテンツの質や考え方を磨ききれていない状況で安易に案件を受けてはいけないと思っている。
また、そのコンテンツ(アート作品など)に思想、哲学がなければバズっても消費されてすぐに忘れ去られてしまう。虚しい。消費コンテンツだ。すぐ消える。
強烈なメッセージを与えられる作品ではない。
そもそも、バズるのは意外と簡単だ。
分野、コンテンツが違えど、バズらせる事はどの媒体でも再現が可能だ。特に炎上路線、キャッチーな事なら。(私は炎上路線はそれに見合うリターンがないならやめておいた方がいいと考えています…)
私は最近、現代アート業界をみている。
残念だなと思うのが、炎上商法や過激な思想で人の心を動かそう、操ろうとしていること。安易にポジショニングしようとする人が多い。それって実はとても危うい。
地位が上がるほど、肩書きが増えるほどポジショニングトークから抜け出せなくなる。
本来の活動、ビジョンとかけ離れているようにみえる。
だが、アーティストは、目立つ事、炎上を何度も繰り返す必要があるのだろうか。そのポジショニングは10年、20年先を見据えた上で重要な事なのだろうか。
アーティストは、市場の期待に応えようと炎上路線から抜け出せなくなってしまっている。
また、事務所(ギャラリー)の期待に応えようと必死になっている。
だが、アーティストはたとえどんな逆境でも、事務所(ギャラリー)や市場のいわれるがままではなく、己の意志を示し、新しい世界観を築くことや、市場への流出量や方向性をコントロールする力が必要だと思う。
そこは、決して譲ってはならない。
市場やギャラリーのために、アーティストが存在しているわけではないので。
バズる事も時に一つの有効な方法だ。だが、ただ目立てばいいわけではなく、タイミングや質が何より重要だ。
そもそも、アートは手段じゃない。
バズらせる目的に、アートが安っぽく使われるのはなんだか違和感を感じる。
それらは、「アート」なのだろうか。
アートは思想、哲学、世界観が作品に伴ってこそ人を惹きつける。
アート作品は、思想なくして成立しない。
まず、思想、哲学を固める。
その上で、何もかも超えていく。突き抜けていくんだ。
ただ、思想ではなく、絵画だけで圧倒的感動を生み出せるか、人の心を揺さ振れるかも大切だと思う。
どんなに思想が優れていても、絵画がなくては思想家だ。説得力はやはり、絵画があってこそ生まれる。
思想と絵画の質が伴ってきた時、市場にみせること、バズることの価値が生まれてくる。
バズっていても、思想と作品が空っぽでは、すぐに見透かされて飽きられてしまう。
バズる事は後でいい。準備が出来れば、いつでもできる。もしPRが苦手でも、絵画の質と思想が固まっていれば、周りから人が集まる。とにかく、バズらせる事はタイミングが大切だ。バズのための作品に時間をかける必要はない。
私はアーティストやアート関係者に、己の意志とは異なるコンテンツ作りに浪費してほしくない。
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