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春の夜、夢のようなインスタント・シティ

 私たちが会う日はなぜかいつも雨だった。もちろん雨の日を選んでいるわけではなくて、本当に偶然なのだけどこうも続くと何か意味があるのではと考えてしまうのが春というものだ。

 雨は嫌いだ。くせっ毛の私の髪の毛は雨の日はいつに増して広がってしまうし、巻いた前髪もすぐにだれてしまうし、気圧のせいなのか頭痛がする。土が湿ったような雨の匂いも耳につく雨の音も君が帰りがけにくれるビニール傘も憂鬱だ。持って帰れないビニール傘は地下鉄の端っこの席の手すりに忘れたフリをするしかない。持って帰れないのはビニール傘と君の匂いと私のほんとの気持ち。ただ君の部屋に置いていったのは私の香りと瞳の星の欠片。きっと君はそれら私の一部に気づいて、私の代わりに抱きしめて眠りにつくに違いないのは分かってるのに。

 ある意味では雨の日は好きとも言える。雨の匂いは君の匂いをかき消す。匂いだけじゃない、私たちが触れ合った痕跡も流してくれるような気がする。君に会えない日でも、雨が降ったら君を思い出せる。君が私の頬を両手で挟んでそのまま後頭部に指を差し入れてキスするときの指の温度や、ソファに並んで座って私の左足と君の右足が重なるときの重みを。


 目黒川沿いにはもう桜が咲き始めていて、夕暮れ時は人が多くてみんな外で飲んでいる。高架下は電車の音がうるさくて思わず耳をふさぎたくなる。君が言った「一緒に桜見ながら歩きたい」は轟音にかき消された。歩道橋の上から見た駅前の背の高いマンションとまばらに咲いた桜並木、頭上は藍色、高架線の向こうはオレンジ。もうすぐ天体はひっくり返って世界は暗闇の中へ、全て完成された夢のようなインスタント・シティ。ただただ美しいだけの景色に何か意味を見出そうとしてしまうのが春というものだし、君に早く逢いたい。


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