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君の名前はレモンと蜂蜜の味がした

 この会社に入ってズル休みをするのはもう4回か5回目だ。古風な社風の割に勤怠がゆるいところが気に入っている。ズル休みとは言っても、精神的に参っていると本当に具合が悪くなるから、正確に言えばズル休みではないと自分に言い訳しながらベッドの中で「今日はお休みさせていただきます」と送信した。正確に言えばズル休みではないけど、頑張れば起きられそうだし会社にも行けそうという意味ではやっぱりズル休みで、そんなことに罪悪感を抱く根が真面目な私はそっとスマホを置いて背後に押し寄せるその罪悪感を振り払うように寝返りを打った。カーテンの隙間から朝の日差しが漏れていた。

 二度寝して起きると日差しは消えていて、あとで知ったけれどお昼ごろから雨雲が出始めていた。部屋は薄暗く、寝ぼけた私は今が朝なのか夕方なのかしばらく分からなかった。時間の分からなくなったぼーっとした頭のまま思い出すのはこの部屋よりももっと薄暗い、テレビだけつけて灯りを消した君の部屋。お香と柔軟剤の混じった香り。DVDを見ながらピザとコーラ。君はハイボール。1.5人分の距離はもうなくて、ソファ代わりのベッドの上で隙間なくぴったりと身体を寄せ合っていた。

 私は肩にもたれかかったまま。君は私の髪を撫で続けるから「犬になった気分」と私は一人呟いた。「よーしよしよし」と君はふざけて本当に犬を撫で回すように私の髪をぐしゃぐしゃにして、「実家の犬にはよくこうしてたよ」と笑っていた。そのとき犬はどんな気持ちだった?きっと私とは違うこと考えてたに違いない。

 君が髪を撫でて、頬に触れて、顎を軽くもってキスするきっと5秒前後の出来事をこの一週間、何度となく脳内で再生した。スローモーション、全部覚えてる。微かに漂うお香の残り香や君の首筋の匂い、レモンを入れたハイボールの味、握りしめた君の二の腕の硬さ。言葉に出さずに君の名前を口にすると、蜂蜜をそのまま舐めたような甘ったるい味がした。

 午後から雨が降り出した。頭痛がするのは気圧のせいか。胸のあたりがしめつけられるよう。夢と現を甘くふらふらと行き来して、なんて幸せで息苦しいズル休みなんだろう、ドレッサーの引き出しからママにもらった真珠の指輪を取り出してそっとはめてみた。こんなズル休みのためにまた明日から会社に行くのだろう。雨の音はなんとなく優しげだった。


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