落ちこぼれ就職活動と星のや軽井沢での奮闘記〜独立に至るまで【1】〜
みなさま、はじめまして。ライフコーチ・植物療法士の岡野真弥です。
植物のチカラもとりいれながら 自分を愛し、奇跡であふれる 人生を送るためのインスピレーションをお届けしています🕊🍃
2016年に会社を辞めて独立し、早いもので9年目になります。とはいえ、ここまで決して順調な道のりではありませんでした。誰かの背中を押すきっかけになればと思い、新卒での就職活動から、独立に至るまでを、綴ってみることにしました。
入社したい会社が見つからない、就職活動の苦しみ
大学3年生になると「就職活動」が本格化した。自己分析、企業分析、就職説明会、OB訪問…やることが多くてスケジュールはパンパンだった。「頭で考えるより行動だ!」と思い、とにかく動き回ったが、「これに人生をかけて生きていきたい!」と情熱を感じるものが全く見つからない。
周りの友人は、名だたる大企業に次々と内定していく。その数を競っている人なんかもいて、自分の中でどんどん焦りは募っていった。
採用面接では「企業が求めている人材ニーズに合わせて、自分の資質の切り口を変えて魅せ、これまでの経験を説得材料にして伝え、一緒にビジョンを描いていく」ということは何となく分かっていたので、それなりの模範解答を事前に用意することはできた。でも、いざ面接官と話す場面になると、言葉が詰まって出てこない。毎回泣きそうになっていた。
頭で考えたフレーズは、まるで台本を読んでいるかのようにエネルギーが低い。自分のハートに嘘をついているようで、罪悪感があったのだ。
魂にウソをつき続ける自分にも、面接が全く上手くいかない自分にも、どんどん嫌気がさしていった。
あまりに気持ちが乗らなくて、予約していたセミナーや面接を当日ドタキャンしてしまうこともあった。
不器用ながらも自己分析を進めてみることにした。自分の本音を知ってしまうと、ますます採用面接で不利になる気がして恐かった。でも、外に向かって行動するよりも、自分と向き合うことの方が大切だと感じた。
当時のノートを読み返してみたら、こんな内容が書かれている。
自分の本音に気付いてしまったので、もう嘘はつけなくなっていた。とはいえ、これらの軸に合致する会社は、ますます見つからない。
毎日パソコンとにらめっこしながら「このまま社会に出られなかったらどうしよう」「私は社会不適合者だ」という不安に襲われて、心臓がバクバクしていた。
そんな中、唯一ビビッとくる場所が見つかった。当時はまだほとんど知られていなかった「星野リゾート 星のや軽井沢」だ。
まさに日本の精神的・文化的な豊かさを体現している場だと感じた。
採用面接では、心の内側から次々に言葉があふれてきた。自分の本音と一致していると、こうも自然に話せるものなのだと驚いた。何とか採用が決まり、自然豊かな軽井沢で初めての一人暮らしが始まった。
星のや軽井沢でコンシェルジュとして奮闘した2年間
星のや軽井沢は、「もし日本が鎖国したまま近代化していたら」ということを感じられる世界観で、地産地消の懐石料理、和菓子、日本の暦に合わせた暮らし、メディテーション、温泉、シンギングボウル、お香、森林浴、ライブラリー、ハーブティーなど、ときめく要素であふれていた。
お客さまとの接点を増やし、業務の効率化をはかるために、レストランでのサービス、フロント、チェックイン・アウト、客室清掃、車での送迎などあらゆるポジションを担った。また、興味があることはどんどんチャレンジさせてもらえる環境で、入社1年目から日本文化担当として、ターンダウンの導入など様々なプロジェクトに関わらせてもらえた。それはまるで、運動会のように目まぐるしい日々だったが、充実した日々を過ごすことができた。
海外のお客さまも多かったので、「日本の精神性・文化を伝えられている」という実感もあった。
入社当初は、お客さまと直接コミュニケーションをとることに苦手意識があって、マーケティングなどのバック部門でキャリアを築きたいと思っていた。しかし、2組の素敵なお客さまからお手紙をいただいたことで、転機が訪れた。
1組目は、チェックインを担当したご夫婦だった。部屋にこんなメッセージが書かれたメモが残っていた。
2組目は、結婚22周年のお祝いでいらしたご夫婦。チェックアウト時に、お手紙をお渡ししたら、素敵なお返事をくださった。お客さまから初めていただいたこのお手紙は、今でも宝物のように大切にしている。
自分の存在が誰かの心に光を灯せるのなら、こんなにありがたく、幸せなことはない。苦手意識を克服して、もっと対面でのコミュニケーションにチャレンジしてみたい!と思うようになった。
休日が来るたびに、お給料をほぼ全部つぎ込んで、サービスについての本を読み漁ったり、一流と言われる国内外のホテルやレストランを訪問してホスピタリティについて研究を続けていった。真心がこもったサービスの真髄に触れたかったし、そのエネルギーを自分の中に浸透させたかった。言語化できない何かが自分の中で取り込まれて、少しずつお客さまにもお伝えできている感覚が生まれてきた。
ぎっくり腰という天からのギフト
ある日、懐石料理をふるまうレストランでのディナー営業後に、ビール瓶を運んでいた。それらを1ケース持ち上げた瞬間、腰にビリリっという衝撃が走った。そこから全く動けなくなった。初めて体験するぎっくり腰だった。
先輩が自宅まで車で送ってくれ、しばらくお休みをいただくことになった。寝返りも打てず、トイレに行くのも一苦労なほどの腰の痛みだった。
何とか動けるようになってからは、コルセットをして、電気治療を受けながらの勤務が始まった。以前のように、車を運転したり、料理をサーブしたり、客室清掃したりができない。基本的にずっとフロントに立たせてもらっていた。
「せっかく星のや軽井沢でホスピタリティを極めたい!と思ったのに、この状態では以前のように働けない。このまま諦めなければいけないのかな…」
悲しくて涙が出た。
でも、いつまでも落ち込んではいられない。状況を前向きに捉えてみることにした。
「今の自分にできることは何だろう?確かに以前のように体を動かすことはできないけど、お客さまとコミュニケーションをとることは変わらずできる。あまり体に負担がない環境で、お客さまと接するには?」
そこで、「ブライダルコーディネーター」の仕事が思い浮かんだ。
星野リゾートの軽井沢には、「軽井沢高原協会」と「石の教会」という2つの教会があり、ブライダル事業は会社の大きな柱だった。
星のやで接するお客さまとのご縁は、長くても数泊程度で、顧客接点はどうしても限定的だった。しかし、ブライダルコーディネーターであれば、お客さまとの関係が約半年前〜数ヶ月前から始まるので長期的な関係が築けるし、人生の一大イベントをお手伝いできるなんて、こんなに幸せなことはない。
思いきって上司に異動希望を出し、正直な思いを伝えた。
晴れて希望が叶い、そこから3年間、ブライダルコーディネーターとしての勤務が始まった。
担当させていただいた新郎新婦さまは、500組以上。ここでの出会いと学びはかけがえないものになり、いつしかブライダルコーディネーターは天職だと思うまでになった。詳しくは次の記事で書こうと思う。
今振り返ると、ぎっくり腰になったおかげで、新しい人生の道が開けた。全て起こることに意味がある。ぎっくり腰も天からのギフトだった!
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