藤田 真弥(Maya FUJITA)

60歳を過ぎてパン屋になった「夢追いオヤジ」の娘 #60代の挑戦 #家族 #パン屋 #…

藤田 真弥(Maya FUJITA)

60歳を過ぎてパン屋になった「夢追いオヤジ」の娘 #60代の挑戦 #家族 #パン屋 #セカンドキャリア

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女性の活躍を支える「カッコいいオヤジ」をシリーズ展開します!

noteをはじめて1カ月が過ぎた。 今更ながら、なんで始めたのか、本当に書きたいことは何か、本音を書きます。 大学4年生に「諦めた夢」と言われたショック私は会社員をしながら某大学の経済学部でアドバイザーをしている。アドバイザーと書けば偉そうだが、実際は「世代の異なるお友達作り」を楽しませてもらっているに過ぎない。 緊急事態宣言が出る前、大学4年生の女の子と夕飯をした。ちょうど就活が佳境で某業界を目指して頑張っているという。彼女が、ふともらした。 「でも、これは諦めた夢な

    • #5/型破りオヤジの教え「断られてからが始まり」

      私たちは「周囲と同じ自分」に安心する。服装も話す言葉もキャリアも、どこかで「置いて行かれないこと」を意識している。 型破りオヤジは、そういった社会通念(型)を捨てている。明日できることは今日しない、周りができることは自分はしない。 彼こそ浮いていたはずだ。大企業の中で課長や部長を務めながら、颯爽と仕事を切り上げ、趣味としてビジネススクールを運営していたのだから。課長や部長になれなかった同期さんや、ついてきてくれる部下さんの中には、「こっちは夜まで必死に仕事してんねん!」と

      • #4/型破りオヤジのビジョン「世界一の講座をやりたい」

        型破りオヤジが提供してくれる3カ月の講義。初回の資料を、今も大事にとってある。 大学院を卒業するまで、私は幾度となく講義(授業)を受けてきた。もちろん好きな科目の授業は楽しかったし、苦手な科目の授業はつまらなかったけど、鳥肌が立つほど感動した講義は何回あっただろう? 一応ここはビジネススクールで、3カ月後にはビジネスプランを発表する機会が待っている。だから型破りオヤジの資料はビジネスプランの目次にそって作られていた。 私は、初めて聞いた。 講師自ら「世界一の講義をやりた

        • #3/信じるを行動で示すことの難しさ

          型破りオヤジがいとも簡単に合格をくれたので(こちら)、私は会社員をしながらビジネススクールに通うことになった。 さっそく1つ目の誤算が生じる。 入社した会社は山手線の某駅直結ビルに入っているにも関わらず、新人研修は幕張で行うという。4月~6月は会社が手配したホテル(@幕張)に宿泊し、「仕事後も同期の仲を深めてね」というありがたさの押し売りのような軟禁生活が待っていた。 型破りオヤジを信じようと思った一方で、内定時に提示された勤務地と異なる場所に(3カ月とはいえ)宿泊を義

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        マガジン

        • 型破りオヤジは愛されオヤジ
          5本
        • 夢追いオヤジのパン屋録
          20本

        記事

          #2/大学でかくれんぼをしたら型破りオヤジに出会えた

          型破りオヤジとの出会いは2009年にさかのぼる。 3月、大学院の卒業論文を提出し、あとは卒業式を控えるのみという時期。大好きな同期と離れる寂しさに9割以上の心を持っていかれたが、かろうじて残る1割弱の脳細胞は「社会人になるための予習した方がいいよなぁ」と、ぼんやり思っていた。その神経発火たるや線香花火よりか細く、蛍より弱々しく。 その日も寂しさを埋めるべく、同期と学内でかくれんぼをしていた(笑)。ディズニーランドよりも広いと言われるキャンパスでかくれんぼをするのは、実に疲

          #2/大学でかくれんぼをしたら型破りオヤジに出会えた

          #1/「型破りオヤジ」は強烈なGiverである

          世の中には、多くのビジネススクールが存在する。今すぐ起業したい人向けだったり、起業しなくてもMBAに類する知識を習得する場だったり。 私の恩師こと「型破りオヤジ」は会社員をしながら、仕事後に若手を対象としたビジネススクールを主催していた。会社員を卒業した今もスクールは続き、今年で20年目を迎える。歴代卒業生は約350人。 え、珍しいけど「型破り」は言い過ぎだって? ちょっと待ってほしい。 このスクールは完全ボランティアで運営されている。 より正確に言えば、会場費など運営

          #1/「型破りオヤジ」は強烈なGiverである

          風が吹いて桶屋は儲かり、コロナが流行ってパン屋の娘はパンをお供えできなかった

          お久しぶりです。パン屋の娘です。 え、なんで1週間以上もnoteを休んでたかって? 優しすぎる友人が「体調でも壊したの?」とか「大丈夫?」とか連絡をくれたけど・・・単にGWに書き溜めた原稿が尽きたからって答えたらシバかれますか笑(;'∀') でも、今日は書きたい! というか、今日はどうしても行きたい場所があったのだ。 そこに行けないんだから、せめてnote書かせろやい!という、そんな思いです、はい。 パンを一番食べてほしかった人母の母、つまり私の祖母は10年以上前に他界

          風が吹いて桶屋は儲かり、コロナが流行ってパン屋の娘はパンをお供えできなかった

          #15/夢追いオヤジの娘が思うこと

          60代から両親はパン屋になった。 「夢追いオヤジ」の夢は一定に叶ったと言えるだろう。 私は「夢追いオヤジの娘」となり、2つのことを実感している。 夢は相談しなくていい小さい頃から、両親に「将来は●●になりなさい」と言われた記憶はない。 唯一覚えているのは中学2年生の頃、母から「職業はなんでもいいけど、ジリツした女性になってほしい」と言われたことだ。 当時は自立か自律かもわからず、とりあえず「将来の夢はお嫁さん💛」などの女子特有のパワーワードで思考停止するな!と言われたん

          #15/夢追いオヤジの娘が思うこと

          #14/パン屋録に書かれていない世界

          パン屋の日常を覚えておきたくて、間違ってもコロナという1つの大きな非日常に記憶を浸食されたくなくてパン屋録を書いている。 以前メロンパンを食べて育った男の子の話を書いた(こちら)。 私はえらく感動したから書いたのだが、母は「特別な出来事ではないのよ。お客さんから幸せをいただく場面は結構あるの」と飄々としていた。 普段は感情を全身で表す小動物タイプの母(なんなら見た目もヒヨコっぽい笑🐤)。飄々も堂々も似合わない。 そのエピソード、ちょっと聞かせてよ。 母「はじめましてのお客

          #14/パン屋録に書かれていない世界

          #13/なぜパン屋録を書いたのか

          両親がパン屋を始めて7年目。 なぜ今になってパン屋録を書こうと思ったのか。 それは内部と外部の移り行くものから目がそらせなくなったからだ。数日考えたが、これ以上うまく言葉にできない。 「諸行無常の響きあり」と、ひょっこり私の心に琵琶法師が現れた。ひとまずそういうことにしておいてください(笑)。 内部(両親)の変化単純に両親の老化は進んだ。 パン屋は長時間の立ち仕事にとどまらず、とにかく重労働だ。 小麦粉は1袋10kgする(以前は1袋25kgだったが、数年前に宅配業者へ

          #13/なぜパン屋録を書いたのか

          #12/「この街の灯りひとつに、ひとつの家族があり、ひとつの幸せがある」

          こんばんは。昨日ついに連日投稿が途絶えました。 三日坊主の私が二週間続いたことの方が、むしろびっくり笑。 ということで、今後もゆるふわっと書いていきます。 ありがとうパレード、最終章のトリセツパン屋のお客さんへ感謝を綴る「ありがとうパレード」もいよいよ終盤です。 箱根駅伝ファンのあなたは大手町の読売新聞社前を、京都時代祭ファンのあなたは平安神宮をご想像ください。 今日の私のテンション、そんな感じ。 気持ちが高ぶり、何書いてるか、よくわからなくなるかもしれません( ;∀;)

          #12/「この街の灯りひとつに、ひとつの家族があり、ひとつの幸せがある」

          #11-2/メロンパンから生まれた太郎君

          こんばんは、パン屋の娘です。 今日はパン屋に行き、仕込みを手伝ってきました。 いえ、正しく書きます。 今日はパン屋に行き、仕込みを手伝う気持ちはあったものの、 生地に卵を入れ忘れるという大失態をしでかし、ゼロから作り直すという、時間も手間も気力も、倍以上使う運びとなりました。 両親、本当ごーめーんー!!! こうして生まれた待ち時間、父が、今朝投稿した「ママさんと赤ちゃん」の詳細を話してくれました。 夕刻のメロンパンママさんが初めて来店された時のことを、父は、詳細に覚え

          #11-2/メロンパンから生まれた太郎君

          #11/お名前を知らないあなたへのありがとう

          ありがとうパレードへようこそ(はい?という方はこちら)! 電飾と音楽に包まれ、ねずみさん他、きらめくスターたちが踊ってくれるエレクトリカルパレードは、現在コロナのためお休みです( ;∀;) 「はーい、ぼくミッキー」に代わり、「はーい、わたしパン屋の娘」です。 こちらにて、電飾も音楽も、一切の演出がないアコースティックパレードを展開中です。私自身は踊りませんが、私の心が確かに躍ったパン屋録を書いています。 常連さんはあだ名でお呼びしていますパン屋に来てくださる常連さんには

          #11/お名前を知らないあなたへのありがとう

          #10/「パン屋を手伝うので、明日から会社を休みます」

          ありがとうのオンパレードはじまるよ両親のパン屋は、多くの方に支えてもらっている。 彼らの優しさの質と量に、私はおどろくばかりだ。 質というのは、なんだか言葉が違う。 バリュエーションの豊かさ、あたりが近いだろうか。 パン屋の守破離は、前述の通り。 今回は「守」(なにそれ?という方はこちら)を支えてくれた方へ、「ありがとう」を伝えたい。 両親のパン屋特有の繁忙期私は都内で会社員をしている。 土日休みの仕事なので、平日のみ営業するパン屋を手伝う機会は少ない。 「平日のみ営

          #10/「パン屋を手伝うので、明日から会社を休みます」

          #9/60代パン屋の成長記録~自分の価値観を貫く~

          1万時間はマジックナンバー守破離は、武道や茶道など日本の芸道から生まれた言葉だ。 はて何年の稽古期間を経れば、一人前といえるのだろう? 私が社会人になった2009年。 『天才!成功する人々の法則』という本が話題を呼んだ(原文はMalcolm Gladwell (2008), Outliers: The Story of Success)。 卓越した演奏家は1万時間の練習を積み重ねていたという調査結果から、「1万時間こそ物事を習得するマジックナンバーだ」と述べている。 なぜ

          #9/60代パン屋の成長記録~自分の価値観を貫く~

          #8/60代パン屋の成長記録~視点を増やす~

          両親のパン屋史を守破離の3段階で記述してるなう。 「なう」の使い方、合っているのでしょうか(^^; 今回は第2弾(第1弾「守」はこちら)。 守破離の「破」は、他の師の教えについても考え、良いものを取り入れ、技を発展させる段階とある(引用:デジタル大辞泉)。 つまり見識を広めよってことかな。 稼働を減らして、売上を伸ばす開業以来、父は欠かさずノートを付けている。 天気、売れ残ったパンの詳細、レジが記録した売上(理論値)と実際の現金があっているか、などが書かれている。

          #8/60代パン屋の成長記録~視点を増やす~