#13/なぜパン屋録を書いたのか
両親がパン屋を始めて7年目。
なぜ今になってパン屋録を書こうと思ったのか。
それは内部と外部の移り行くものから目がそらせなくなったからだ。数日考えたが、これ以上うまく言葉にできない。
「諸行無常の響きあり」と、ひょっこり私の心に琵琶法師が現れた。ひとまずそういうことにしておいてください(笑)。
内部(両親)の変化
単純に両親の老化は進んだ。
パン屋は長時間の立ち仕事にとどまらず、とにかく重労働だ。
小麦粉は1袋10kgする(以前は1袋25kgだったが、数年前に宅配業者への配慮の観点から1つの荷物の上限が20kgになった)。これを仕込みの度に運ぶのだから足腰がやられる。
また食品とお金の両方を扱うため、一日に何度も手を洗う。両親の手は「冬の辛いあかぎれにこれ一本!」軟膏のCMオーディションがあればグランプリに選ばれそうだ。夫婦殿堂入りだって夢じゃない。
60代から始めたパン屋には、お客さんとの温かな時間が流れる一方、無視できない老化が迫っていた。いつからか母は片足を引きずり、父は耳鳴りがすると言っている。
外部(環境)の変化
全ての変化は書き切れなので、ごく一部として読んでいただきたい。
2019年10月、消費税が8%から10%へ上がった。2020年7月、レジ袋の有料化が決まり、2021年4月には税込み価格の表示(総額表示)が義務付けられた。
これら1つ1つの変化に振り回された場合、どうなるだろう。
幸い両親のパン屋はテイクアウト専門のためパン自体は増税の対象外だが、それでも仕入れる原材料の税率は変化した。
レジ袋を有料化する際は「いつから・いくら袋代がかかるか」事前に告知する必要があったし、これに慣れたころ、今度は総額表示のためプライスカードやレジの数値を変えないといけない。
ここって賽の河原だっけ?
外部変化に対する備え
両親は決して外部変化に無防備だったわけではない。
VUCAの時代(あらゆる環境が目まぐるしく変化し予測できない時代)だ。外部変化に振り回されないよう工夫し、内部変化に伴うダメージを最小化する努力は一定にしてきた。
たとえばパン屋を創業する前年(2014年)に消費税は5%から8%に上がったが、当時から安倍総理は一律10%への引き上げを言及していた。
だから両親は最初からプライスカードに「税込み価格のみ」を記載した。
120円のプライスカードがついたパンは、今日は「パン代111円+消費税9円(8%)」だが、もしテイクアウト商品も含めて10%に増税した時は「パン代109円+消費税11円(10%)」と扱えるように。
プライスカードやレジの数値を変える手間を減らすことに加えて、お客さんと1円単位のやり取りするという面倒も回避した。面倒なやり取りはミスが増える。お客さんとお金のことでもめたくない、という強い考えがあった。
さて、どれほど備えたとしても。
それ以上の速度で変化は起こり、やがて元の姿は風化する気がしてならない。
変化後の姿が、正しく記憶に残るならばまだいい。
私が避けたいのは、7年営んできたパン屋の日常の記憶が、たった一つの大きな非日常によって塗り替えられてしまうことだ。記憶の中で非日常だけが存在感を増し、時間とともにクローズアップされることを恐れている。
最たる非日常とはコロナである。
パン屋に限らず、昨年からの思い出は「コロナ」の一単語に早くも置き換えられてはいないだろうか。
将来両親とパン屋を振り返ったとき、
「開業してなんやかんやしてたらコロナが来て、なんやかんや追われているうちにパン屋を終えていたね」と、『33分探偵』ばりになんやかんやな記憶となっては、丁寧に育くまれた日常があまりにかわいそうだ!
私は堂本剛さんが演じる探偵ドラマなら、『33分探偵』より『金田一少年の事件簿』が好きだ。日常は、今なら記憶の中にいる。必ず私が救いだしてみせる!パン屋である父ちゃんの、父ちゃんの名に懸けて!!
はじめちゃんへの愛が炸裂した結果のパン屋録とは、琵琶法師もびっくりだろう(^^;
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