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風が吹いて桶屋は儲かり、コロナが流行ってパン屋の娘はパンをお供えできなかった

お久しぶりです。パン屋の娘です。

え、なんで1週間以上もnoteを休んでたかって?
優しすぎる友人が「体調でも壊したの?」とか「大丈夫?」とか連絡をくれたけど・・・単にGWに書き溜めた原稿が尽きたからって答えたらシバかれますか笑(;'∀')

でも、今日は書きたい!
というか、今日はどうしても行きたい場所があったのだ。
そこに行けないんだから、せめてnote書かせろやい!という、そんな思いです、はい。

パンを一番食べてほしかった人

母の母、つまり私の祖母は10年以上前に他界している。

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私は、その人を常にばあちゃんと呼んでいた。
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐばあちゃんと言いたくなる。筆をとっても心得は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。(夏目漱石『こころ~2021ばあちゃんver.~
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うっかり漱石に憑依されたので、以下、ばあちゃんと書こう。

ばあちゃんが生きてた頃、大学生だった私は都内で一人暮らしをしていた。日曜の朝、ふと気が向くと東京駅にGO!!!
大学講義1コマ分くらいの間、ボケーっとただ座っていると東海道新幹線は名古屋駅に着く。「新幹線を全国に」と言った田中角栄よ、ありがとう。

突然自宅のピンポンが鳴り、東京に住んでいるはずの孫がそこに立っていたら驚くと思うのだが、ばあちゃんはいつも平常心だった。
「あ、今夜泊まるなら布団干すけど?」
「あなたの分の夕飯作ってないから、外食にしようかね」
高血圧の薬が効きすぎてるんじゃないか?と不安になるレベルの淡々さ。さすが戦火をくぐり抜けた世代は肝が据わっている。

「やっぱ人様のことは分からんね」

ばあちゃん宅では特にすることもないので、他愛もない話をした。

私が500mlのペットボトルを飲んでいると、ふいに「それ外で、立ってそれ飲む子いるでしょ。お行儀悪くない?」と言われた。
どうやらばあちゃんにとって、ペットボトルとは新幹線の椅子に座りながら温かい緑茶を飲むために伊藤園が開発した容器という概念のままらしい。だから屋外は控えろ、せめて座って飲めと。・・・外で座ってペットボトルを飲むの、コンビニ前のヤンキーくらいじゃない(;'∀')?

ある時ビニール傘を持っていくと、「それ綺麗よね、デパートになくて。どこで売っているの?」と聞かれた。コンビニで500円程度で買えると伝えたら、えらく驚いていた。
ばあちゃんが幼いころ、傘を作るのは子供の仕事だったらしい。大人が組んだ竹に子供が和紙を貼り、その上に油を塗る。竹は細くするとすぐ折れるのに「ビニール傘は細いのに頑丈そう💛」と妙にウキウキしている。そりゃ素材が違うからね。てか傘作れるほうがすごいから(; ・`д・´)

日常がちょっと非日常に変わるというか、自分の感覚が普遍でないことをすんなり受け止められる時間だった。世代間GAPに触れたとき、卑屈になったり、昔の方が良かった~と感じる人は多いだろう。その気持ちもわかる分、「やっぱ人様のことは分からんね」とカラッと笑い飛ばすばあちゃんは、カッコよく見えた。分からんから突き放すんじゃなく、分からん同士の最適距離で付き合おうとするところが。

60代から突然パン屋になった両親は、ばあちゃんから見たら確実に「分からん人」だろう。存命であれば重労働を伴うパン屋を反対していた気がする。一方で「分からん人」なりの距離感で応援をくれた気も、確かにするのだ。

ばあちゃんに両親のパンを食べてほしい。いつからか私はそう思い、「よしっ、次の法要にはパンを持ってくぜ!」と、ひそかに張り切っていた。

で、その法要というのが今週末だったわけ。
土曜に名古屋入りして、蓬莱軒でひつまぶし食べ、熱田神宮で星型のかわいい絵馬を書き、名古屋城にいく。『るるぶ』信者のごとく鉄板な観光地を巡るのが常だったのに。

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緊急事態宣言に伴い、今回は法要を控えることと相成りました。
ガーーーン( ;∀;)!

パン屋の娘、パンをお供えすることできず。
パン屋のばーちゃん、死人にパンを食べる口なし。


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