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そのキッチンの片隅で、まるく世界を見つめたい

私にしては珍しく、一気に物語を読みきった。
今でもちょっと文体が影響されている。吉本ばなな風、というより、吉本ばななかぶれの文体でお送りします。

吉本ばなな著『キッチン』。
彼女の小説を、実は恥ずかしながらようやく初めて読んだ。
現在朝の4時半。私もみかげと同じく超夜型人間らしい。カーテンを開けて、涼やかな朝の光を堪能しながらこの記事を書くことにする。

(この記事は『キッチン』と続編『満月──キッチン2』のネタバレ(?)を含みます)


あらすじ

幼い頃に両親を亡くし、ついに唯一の身内であった祖母も亡くした主人公の「みかげ」。身寄りのいなくなったみかげのもとに、ある日「田辺雄一」という一人の青年が現れる。思いがけず、みかげと雄一とその母親の「えり子」(実は本当の母親ではなく父親である)との、奇妙であたたかな共同生活がはじまる。


続編も読んだ上でこう思う。この物語は、不思議とちっとも哀しくない。それなのにどうしようもなく淋しくて、ほんのり明るい。

身近な人が死ぬということ。それは人として生きる中で最も過酷な試練の一つに違いない。その喪失がこれ以上ないほどに真っすぐ、素直に描かれる。絶望も淋しさも混乱も、全てが忠実な臨場感を持って表現されているというのに、気がつけば抱いていたのは胸のあたたかさだった。

特にこの物語で印象的なのは、「食」と「睡眠」。

『キッチン』というタイトルの通り、この小説が象徴するものはキッチンにはじまる食事のシーンだ。三人あるいは二人の共同生活の中で、みかげが振る舞う料理や真夜中のタクシーに乗って雄一のもとまで運んだカツ丼、食事のどれもが重要な場面に現れる。

さらに食はともかくとして、何かと省略されがちな睡眠をこの小説ではきちんと描写している。ひとりきりの台所で、田辺家のソファで、雄一との逢瀬のあとの宿の布団で、みかげは眠る。誰といたって、眠るときと死ぬときはひとりだ。『キッチン』の眠る場面を読んでいると、そんなひたひたと忍び寄るようなほの暗い安心感を抱く。

なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ごはんを作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。

ごはんを作って食べて眠る。そんな生活を誰かとともにすること。家族になること。「生きる」ということについて、これだけ素直に問いかけてくる小説に出会ったことはなかった。なんて切実なんだろう。

そして同じ境遇に生きるふたりだからこそ、この物語は緩やかに成り立っているのだと思う。ついに二人して誰よりも大切な人を亡くし、絶望と混乱の渦のどん底に落とされたみかげと雄一。それでも二人が迷いながらも前に進んでこられたのは、お互いにお互いの存在がなくてはならないものだったからだと思えてならない。

心の拠り所、そして生きることの象徴。それが「キッチン」なんだと思う。


涙が溢れて止まらなかった。物語に泣かされたのはもちろんだろうけれど、この人の用いる表現にもしっかり泣かされた。それほど心に迫りくる言葉の波だった。決して難しい語彙を使っているわけではないのに漂う独特の空気感、言葉の持つ温度。こんなものが書けたらいい。吉本さんの文章は、私の理想で、夢だと思った。


私も心のどこかに、あるいは現実に小さな台所を構えている。この先長いであろう人生、私も失うものがどんどん増えていくはずだ。だからそれぞれの場所でたっぷり息をして、ぐっすり眠れるキッチンとともに生きていこう。それさえあればきっと、私は私として立っていられるような気がするのだ。



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