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事実を”受け止める”とは~なぜ受け止める必要が出てくるのか~

今日も1日お疲れ様です。
それでは今回の『今日のnote』始めていきたいと思います。

今回のテーマは『”受け止める”のは思考ではなく感情』です。

"受け止める"とは

受け止める必要があるということは、
自分が考えていることとは違うことが起こった時だと思っています。

例えば、
第一志望の学校の試験に失敗した。
彼氏・彼女に振られた。
親しくしていた方が亡くなった。

どちらかといえば、
ネガティブな出来事が引き金になって起こる
心の急激な変化に対応すること

というニュアンスで解釈されることが
多いのではないかと考えています。

自分が思い描いていた結果にならないことを、
自分の中で理解のレベルまで落とし込むこと。

その作業は決して簡単なものではありません。
そして自分の頭に入ってきた瞬間の反応で、
その人がその事実を受け止められる人なのか、
そんなことが分かるような気がしています。

(無意識に)思い描いているものがあると、後に何かを受け止める必要がある

理想としているものや、自分のやるべきこと、
そのような認識を持っていることは、
結果として、最終的には、
何かを受け止めることが必要になってくるんじゃないかと思っています。

例えば、
努力は必ず報われる
自分が生きている間は、仲良くしている人は誰も死なない

そのような、いわば無意識的な理想が、
それを裏切る形で生じた事実によって意識化され、
その事実、あるいは解釈の上書きをすることを余儀なくされる、
つまり、受け止めざるを得なくなるのだと思っています。

日ごろから受け止めておく

そのように、急激(かのように)生じた事実を受け止める必要性を回避するためには、日ごろから受け止めておく、あるいはその準備をしておくということが有効だと感じています。

そーゆうもんだよね。

そんなマインドを構築しておくということです。

生きていれば、
試験に落ちることもあるし、
肉親を失うこともある、
振られることもある、
ケガをして入院することもある、
そして、この世から去ることもある。

そーゆうもんです。

今回は『事実を”受け止める”とは~なぜ受け止める必要が出てくるのか~』について書かせていただきました。

また、明日ね~(^^)/~~~


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