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【いまさら聞けない】という鎖~”わかしん。さん”のコメントから感じたこと~

ある番組内での”わかしん。さん”のコメントより

タダ、わかんないっていうだけじゃなくて、
関心は持っていて、だけど知らない。
「知識をぶつけに来た」んじゃなくて、「吸収させてくれ」ってなると、
その時に出る質問が、相手を責めるためのものじゃなくて、どういうことかを引き出そうとするものに変わる。

そうやって、学ぶっていう姿勢を身に付けないと、
いかにみんなスマホを観て、いかに”知識”を増やすのか、
そして、それを誰かにぶつけてみて、論破した論破されたに執着しすぎているから、学ぶ能力というのが低くなっているのかなと感じていて・・・

わかしん。さんは、『日本の実業家、プロデューサー。株式会社NEWYOUTH代表取締役、慶應義塾大学特任准教授などを兼任(Wikipedia)』とのことですが、実のところそんなに詳しくは知らないのですが、
ただ、最近では報道ステーションやABEMA primeなどでお見掛けしますので、注目していきたいな~と思う方の一人です。

「いまさら聞けない」という鎖と学ぶ姿勢

知らないといけないというのは、
何となく暗黙の了解としてあって、

でも、そんなことは結構関係ないんじゃないかなと思っていて、
知識がないから議論に参加できないなんてことはないと思うんですね。

だとしたら、全ての議論がごく一部の人にしか共有されないものになってしまったり、周りの人たちを寄せ付けないものになってしまいますよね。
すると、本来目的にしてる合意形成が一部の人たちの偏った意見に寄与したものになってしまったり、提供するサービスに至っては提供する側の思いが強くなりすぎて顧客の希望との間に乖離を生むことにつながるんじゃないかなあとも思っています。

確かに、議論に参加するためには最低限の知識は必要だと思いますが、
知識がある人がすごいという事は100%ないと思っていて、

それよりはむしろ、その知識を使って何を表見するのかとか、
どんな合意形成を図るのかといった展開の方が重要で、
そのためには、”わからない・・・”と思考停止せずに”知りたい”ことに関心をもって、知っている人から引き出すという学ぶ姿勢が大切だと思っています。

そんな背景もあり、ふとYouTubeのある番組を聴いていた時に、わかしん。さんのコメントがググっと入ってきたんですね。
何回も巻き戻して聴いちゃいました(^^)

”しっくり”くるものは”ピッタリ”とは違う

このコメントに私は「しっくり」来たんですが、
でも、これは「ピッタリ」ではなくて、

わかしん。さんのコメントに、私の考えを重ねたときに、
0~100がそのままピッタリはまったというよりは、
もう少しぼんやりしたもので、
どちらかというとベクトル方向の方が近い感覚だと思っています。
しかし、日ごろ何となく考えていたことをかなり明確に表現されていたコメントだったからこそ、「しっくり」来たんだと思っていますし、それを聴いたときに、そのコメントに対する聴覚の解析度と焦点が急激に向いたんだと思います。

でもそれって何となくワクワクする感覚で、
自分が何かを学ぼうとしている証拠だと感じています。

今回は『【いまさら聞けない】という鎖~”わかしん。さん”のコメントから感じたこと~』について書かせていただきました。

また、あしたね(^^)/~~~


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