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自分の人生を”演じる”~主人公はダレ?~

今日もお疲れ様です。
では今日のnote始めていきたいと思います(^^♪

今日はどんな役を演じられましたか?

役を演じるとは

というのは本来、
『自分ではないもの』というニュアンスが背景にあると思っていて、
だからこそいつもの自分とは違う自分を『演じる』といった使い方をされますよね。

でも本来は、
自分の中の感覚では、
等身大の自分がどんな状況でも外部との接触に一役買っていると思っているんだと思います。

でも多くの状況で、
例えば家での自分と、学校、職場での自分はどこかしら違うんだと思うんです。

立場として、
職員A、あるいは生徒Bのような、
舞台でいえば配役が与えられているような、
その人の暗黙の役割があるかのような、
そんな錯覚が芽生えるような状況が、
何処も彼処も存在すると思っています。

そう、日々、意識無意識関係なく、
結果的に私たちは何らかの役を演じているんだと思うんですね。

ある名言

そんな中、今日は1つの名言に出会いました。

福沢諭吉氏の言葉です。

『人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることがある。
とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心にすべし』

慶応義塾を創設し、著作としては『学問のすすめ』が有名ですが、
そんな福沢諭吉氏の言葉。

正に、日々の私たちの暮らしを本質的にとらえたものだと思っています。
演じることがうまい人も居れば、そうでない人も居ます。
しかし、才能を発揮したり、成功したりするのは、芝居のうまい下手には関係ない。

あまり芝居をしようとせずに、自分を出して人生を生きなさいと。
そんなことを言われているような言葉だなあと解釈しています。

主人公はダレ?

先ほど、職員Aやら、学生Bのような脇役の配役を挙げましたが、
自分の人生の主人公は誰がなんと言おうと自分です。

自分の人生を生きるという舞台のオーディションに、
何億、何兆分の1という天文学的確率でグランプリを取って、
生まれてきたわけですから、
自分の人生の主役は、自分しかいないんです。

既に主人公を演じているということを、
日々忘れがちですが、
今日、それを是非思い出して、
明日は”自分を”演じてみてください(^^)/

今回は『自分の人生を”演じる”~主人公はダレ?~』について書かせていただきました(^^♪

私は、明朝のサッカーW杯⚽『日本×スペイン』に備えて寝ます(^^)笑

それでは皆さん🍀
また、明日ね(^^)/~~~


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