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今日を生きたかった"誰か"のことをおもう

いのち

今日もたくさんの方が亡くなった。

その方はきっと…

いや、中には居たかもしれないが、

今日が最期の日だと、

知っていたのだろうか。

もし生きていたなら…

できた あんなこと こんなこと…

でも、そんなことを言っていたらキリがない。

でも、生きている自分にはできる…

かもしれない。

じかん

あの人がもし今日生きていたら、

何をしたかったのか。

もしかしたら、

家族とのたわいもない会話、その時間、

好きな本を読む時間、

好きなものを食べる時間、

好きな人と過ごす時間、

そんな、何気ない時間を過ごしたかったに違いない。

だから、
そんなことを考えると、

純粋に"いま"を生きることって大切だなぁと。

今日が最期の1日だったら…

本当に、今日が最期の1日の人にとって、

そんな呑気な問題提起は愚問。

そして、

今日が最期の1日だったら何をしよう…?

と思っている人のほとんどは、

明日があると思っている。

そう思っています。

本当に、今日が最期の1日の人は、

それを考える時間さえ惜しい。

今やりたいことを今やりたい。

『考える』とは、

余裕のある人がやること。

あたりまえ

今日もたくさんの方が亡くなった

亡くなった人たちが教えてくれることは、

生きていることが当たり前ではないということ。

死こそが当たり前なのだと。

今回は『今日を生きたかった"誰か"のことをおもう』について書かせていただきました。

また、あしたね^ ^



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