見出し画像

天才とは、自分に与えられた役割を理解している人だと思う理由

"天才"の構成要素

天才と聞いてどのような人を思い浮かべるでしょか?

生まれながらの才能を発揮する人?
自分にはできないことができる人?
少しの努力で何でもできる人?

では、天才とは限られた人に使う言葉なのでしょうか?

今日はそんなことをふと考えてみました。

上記のいずれも当てはまらないのであれば、自分は天才ではないのか。
私はそんなことはないと思っています。

自分から見て天才と思っている人が、必ずしも自分のことを天才だと思っているとは限らないからです。

その多くは、その人を評価する周りの価値観だったりするからだと思うからです。

では、その周りの人々は、何をもってその人を天才だと感じるのでしょうか。
もちろん、もっている才能を存分に発揮しているからこそ、周りの人とは違う、圧倒的なパフォーマンスができるのだと思いますし、普通の人にはかなりの努力をしても実現できないことを実現できる、そんな能力を持つことを天才の構成要素だと思っています。

そんな天才の構成要素を全ての人が理解しているとしたら、この世は天才であふれかえり、そもそも天才という概念さえ無いと思います。

この世に天才という概念が存在するということは、そのように自分の能力が他人のそれとは大きく違う部分、つまり少しの努力で他人の能力を凌駕できる能力を理解している人が少ないからです。

天才を左右する能力

その能力とは、自分に与えられた役割を理解する能力だと思っています。

自分がやりたいことが、自分に与えられた役割だとしたら、やりたいことを突き詰めることでその能力が開花します。

しかし自分がやりたいことが自分の能力を十分に発揮できないことであれば、他の誰かを超えることは出来ず、つまり開花することはありません。

自分の才能、世の中が求めていることに最小限の努力で最大限の能力を発揮できること、それを実現できる人こそが世に言う天才では無いかと思っています。

今回は『天才とは、自分に与えられた役割を理解している人だと思う理由』について書かせていただきました^ ^

また、あしたね😊✨

この記事が参加している募集

習慣にしていること

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?