母が誕生日に言っていた「なにもいらない」の意味
私の誕生日
先日は私の誕生日。
クラスや授業の生徒に「先生、おめでとう」とたくさん言ってもらえて
素直に「嬉しくて、そしてちょっぴり照れくさい」気持ちになった。
社会人になり、一度にたくさんの人に「おめでとう」と言ってもらえる機会はそんなにない。
教員ならではの経験っちゃ経験だなと、、、
言葉のプレゼント
会う生徒、先生に「まつだ先生、おめでとう」と声をかけてもらい、朝のホームルームでは「happybirthday!!」のコール、国語の授業の一環で書いた手紙まで、、、
たくさんの「おめでとう」を言ってもらえて、とても嬉しく心がほっこりする気持ちで1日を過ごすことができた。
母が誕生日に言っていた「なにもいらない」の意味
幼少期は自分の「誕生日プレゼント」にわくわくしていた思い出がある。
私は人が喜ぶ顔を見るのが好きなので、誕生日プレゼントを選ぶ時間やサプライズを考えている時間が大好きだ。(もちろんいたずらも好きだったがしっかり、怒られて育ちました)
小さいことは誕生日にこんなことしてもらったな、こんなプレゼントやサプライズをしてもらったな・・・と考えていると、母の誕生日にこんなことを言われたことを思い出した。
「誕生日はなにもいらないよ」
プレゼントやサプライズににワクワクする私からしたら、誕生日に何もいらないと言っている意味があまり理解できなかった。
しかし、教員として毎年たくさんの「おめでとう」と言われることで気がついた。
あの時の母の「誕生日はなにもいらないよ」は「プレゼントもありたいけどあなたが働いたお金だから自分のために使ってね。ものは何もいらないよ。」と言う意味だったのかな〜と。
改めて「おめでとう」の意味を考える
高校生のような目に見える著しい成長ができているかは疑問だが・・・
生徒が一年間で「成長したな」と感じることができる授業や企画、クラス運営ができるように教員として生涯学習する必要があるなと感じた誕生日でした。
生徒の誕生日
生徒の誕生日は、職員室前のガラスに書いて教員や友達が声掛けできるような仕組みを作っています。
嬉しそうに眺めている生徒や、誕生日だとアピールする生徒などさまざまです。
ちょっとしたことですが、「おめでとう」と言葉のプレゼントを学校全体で送り続けていきたいです。
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