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向上心のあるナシは生まれつき?

と、思いたくなるほど、兄と弟の向上心の持ちようには大きな違いがある。ココの違いが、ふたりの性格の異なりを決定的に表していると言っても過言ではない。

兄はいつでもマイペースで、空気の読めない言動により、クラスの女子の反感を買ったり、母の怒りを買ったり(マイペースな男にイライラするのって大概は女だと思う)するのが日常茶飯事。同じ過ちを何度も繰り返すので、「何度言ったらわかるの!」と声を荒げてしまうときもあるが、彼と約10年付き合ってきてわかったことがある。何度言っても修正されないことには、「どうにかしよう」「変えよう」「うまくなろう」などの向上心を持ち合わせていないのだ。特に、周囲からの指摘に対してその傾向が強い。内なる自分が「成長したい」と思ったときには、向上心はちゃんと高まる。が、他人がどうこう言う事柄にはてんで興味がないようで、無意識にマイペースを決め込んでいる。結果的には、大部分のことにおいて、向上心はあまりない感じで収まっている。

兄のマイペースの根幹には、『絶対評価な自分』がいる。おおかた自分の信念に従って行動しているので、経験不足のシーンではKYな言動が飛び出すが、すべては自分で考え、自分で試し、行動した結果。場数を踏むごとに増える成功と失敗を、成長の糧にしているように見える。大切なのは「自分が満足できるかどうか」で、それを基準に、向上心を持つ対象を自然と選んでいるのかなと推察している。

一方の弟は、察するのがうまい。周囲の人を見て、自分の行動をあらためることができる。いつも兄のKY言動を間近で見ているから、同じ轍は踏まないようにしているのだろう。友だちと過ごすときも、喧嘩になることは滅多にない。トラブルが生じても、会話で解決したり、自分からその場を離れたりという対処ができるので、問題を解消できないもどかしさで手が出たり、口論になったり、駄々をこねたりすることがないのだ。親としては、手がかからずありがたい限りである。

弟の察する力の根幹には、『相対評価な自分』がいる。よく友だちの様子を話してくれるのだが、「自分は◯◯くんよりできていた」「◯◯くんは自分よりできるからスゴイ」という話題が多い。集団における自分の立ち位置を常に確認しているから、立場をわきまえたと言ったら語弊があるけど、そういう行動になるようだ。実際、兄弟喧嘩は絶えないが、兄には勝てないゲームでは、弟は食ってかかることは決してしない。師匠のように崇めながらアドバイスを引き出し、虎視淡々とゲームの腕を上げようとしている様子は、器用すぎてちょっとコワイくらいだ。

相対評価には、常にライバルが存在する。ライバルに追いつけ追い越せの感情が、向上心を焚きつける。弟は何に取り組んでも、周囲よりできることを増やそうと努力するので、親は何も言わずに見守るだけだ。ひとつ心配なのが、自分の評価基準が他人との比較にあるので、他人に勝ったときにしか満足感を得られないのではないか、ということ。それはあまりにも悲しい。

ありのままの自分を愛することは、兄から学んでもらえないかと期待している。逆も然り。このところ、兄は月末の運動会に向けて、徒競走の練習をしているようだが、「今年はみんな速くなったから抜かされちゃうな〜」とボヤきながら、寝っ転がってドラえもんを読んでいる。おいおい。だったら本番までまだ時間があるから練習しようぜ。弟なら「本番まで毎日走る」と言い出すところだよ。トホホ。

どちらが良いとかではなく、ひとつ屋根の下で育ててきた子どもたちが、こうも真逆の性質を持つことにおもしろさを感じる。向上心の持ちようは、後天的な要素も多分にあるのだろうけど、生まれ持った性質も無視できない。それぞれの特性に合わせたフォローが親の役目だ。そこを日々、せっせとやっているわけだが、いつも思うのは「足して2で割ればいいのに」。

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