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祖母の葬儀のてんやわんや

祖母の葬儀が終わり、ドタバタの日々も落ち着きを取り戻しつつある、ような、ないような…今日この頃。

残念ながら、祖母の最期には誰も間に合わず、伯父が病院から連絡を受け、伯父から連絡を受けた者が順に駆けつけて、対面の時を迎えた。

母の家から病院までは電車で1時間以上かかるので、到着時には同居や近居の親族は揃い踏み。「自分だけが遅れた」と感じた母は、大層悔やみ、塞ぎ込んでしまった。

「仕方ないよ」「みんな間に合わなかったんだよ」なんて、心ばかりの言葉を伝えてみたけど、まったく通じていないご様子。

「遠くに住んでいるから、私は役に立たないんだ」と、今更どうしようもないことに恨み節だったり、「慌てて行ったから涙のひとつも出なくって、私はなんて薄情な娘なんだ」と、隣でさめざめ泣いていたという母の妹とのコントラストを自虐的に言ったり。

これは、かなり荒んでいる。

実の母親が亡くなったのだもの。致し方ない。私も悲しみに浸りたかったけど、母を支える使命を全うしようと心に誓った。

それから毎日、母の様子を伺いに行った。葬儀に向けた準備に参加するため、祖母宅に通っていた母。出棺まで共に過ごす時間を作ることで、少しは落ち着きを取り戻してくれたら、と思っていた。

が、そうは問屋が卸さない。

「棺桶の色をどうしようかって、ピンクにするって言うのよ!」

「火葬場まで同行すると密だから、あなたは葬儀場までで遠慮してよ!」

「子どもは連れてこないで、でも夫婦で参列してよ!」

故人や実家に失礼のないように、とのことだろうけど、葬儀に向けてなんだかピリピリしていた。粗相があれば、またへこむに違いない。無難に済むのが一番だ。母の言う通りに行動せねば。

夫婦でとなると、子どもの留守に対応できないので、通夜の参列は難しくなってしまった。仕方なく、告別式のみの参列に決める。しかも式だけでの帰宅かぁ。祖母なのにゆっくり弔えず、寂しいお別れになるなと思った。

迎えた通夜当日、帰宅した母に話を聞くと、「6人のいとこは全員来ていた」と言う。いとこの一人は赤ちゃん連れだったというし、親戚も結構な人数が来ていたとのこと。

うーん。なぜ、ウチだけ遠慮しなきゃいけないんだ?

でも、母は気にしていないご様子。というか、そこまで頭が回っていないという感じ。納得はいかないが、事なきを得たのなら仕方ない。告別式で、思う存分に祈ろうじゃないか。

翌日、夫と妹2人と待ち合わせて、告別式に向かった。

妹1と途中駅で合流。

えーっと、あんた、なんでベージュのストッキングなの!?

祖母のお見舞い時も3人で待ち合わせたが、妹1は自宅と病院の途中駅にあるシェアオフィスに潜伏までして備えたのに、その駅で反対方面の急行に乗ってしまい、あわや面会時刻に間に合わないかもしれない、というハプニングを起こしていた。

落ち合えただけで上出来だと思っていたのだけど、そう来たか。トホホ。

ストッキングの履き替えに時間を要し、結局、到着は開式時刻ギリギリになってしまった。

小走りで式場に着くと、参列者たちはすでにずらっと着席していて、ジロジロ見られながらの入場。「申し訳ございません…」と連呼したくなるような雰囲気の中、席に着く。母の目がコワイ。

いやー、冷や汗かいた。

厳粛に祈りを捧げたいだけなのに、バタバタするのは何故…。

そうこうしているうちに、式が始まった。住職が入場するので、手を合わせて低頭するとのこと。仰る通りにして待っていると、遠くから声が聞こえてきた。段々と近づいてきて、それは住職の念仏だということに気づく。段々と段々と近づいてくるけれども、まだ姿は見えない。

祈りって、結構、遠くから始まるのね。

無躾ながら「いつ終わるのかな…」なんて思いながら、まだまだ手を合わせ、低頭を続ける。それからやっとこさ住職が入場し、祭壇の前でも念仏を唱え、終わったところで周囲の皆さんがお直りになったので、同じように手を下げ、頭を上げた。

いやー、事前知識がないと戸惑うわ。今後、同じ宗派の式に参列する機会があっても、長いなんて思わないぞ。おばあちゃん、学びをありがとう。

そうして式が始まり、やっと遺影の中の祖母と目を合わせることができた。

薄萌葱色の着物姿。素敵なお写真でよかったね。棺はピンクではなく、薄いブルーだった。ケンカの種が消えて一件落着ですな。紺の幕に深いグリーンのカーテンがかかり、寒色系でまとめられた上品な祭壇であった。

結構な人数の参列者がいたので、お焼香に時間がかかり、その間、祖母との思い出を頭に描きながら、心の中でたくさんの「ありがとう」を伝えることができた。祖母のことをnoteに書いた際、記憶を辿っていたのもよかった。思い残すことなく、お別れができたように思う。

祖母を送り出す心の準備ができたところで、「祖母のために皆で祈りましょう」との住職の声掛けがあり、「南無妙法蓮華経」の大合唱が始まった。

それまでも幾度か「南無妙法蓮華経」を唱える場面があったが、私はよくわからず、声を出せずにいた。だが、大合唱の中でさすがに無言は貫けない。

「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経…」

これは、皆さんと同じように唱えねばなるまい。

周囲を盗み見て、目をつむって手を合わせ、私も「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経…」と唱えてみた。最初はぎこちなかったが、ひたすら唱えているうちに、瞑想のような、無になるような、不思議な気分になってきた。

たった数分で無の境地に至れるなんて、「南無妙法蓮華経」すごいな。

感心しながら唱え続けていたら、突然、住職がテンポを上げてきて、ついハンズアップしちゃいそうな、ノリノリの音楽に聞こえてきた。

「南無妙法蓮華経! 南無妙法蓮華経! 南無妙法蓮華経!…」 

なんだ、この楽しい感じは?!

そして、住職はそのままの勢いで突然、「南無妙法蓮華きょう!!!」と、「経」を強めの語尾上がりに唱えた。「え?」と固まっていたら、皆さん盛大に「南無妙法蓮華経!!」と声を上げ、合唱が終了。

次の「南無妙法蓮華経」で終わり、ってことだった。

そんな流儀があるのか。ライブで、ボーカルが「say!」って言ったら歌う、みたいなヤツか。

「南無妙法蓮華経」すごいよ、ほんと。葬儀場が、縦乗りのライブ会場に思えたわ。おばあちゃん、またまた勉強させてくれてありがとう。


その後は棺に花を添えて、皆で涙を流しながら、しめやかに出棺の運びとなった。母の妹である伯母は声を上げて泣き、いとこが背中をさすっていた。

その横で、母も静かに涙を流していた。こういう時、気を張ってしまう姉の気持ちはよくわかる。私と妹も母の背中を支えて、一緒に出棺を見送った。

私たちはここまで、である。

母の乗るバスを見送ったのち、どのくらいの人が残ったのかなと見回すと、ほんのわずかな人しかいなかった。いとこは赤ちゃん連れ以外は全員帯同していたし、そこは少々なんだかな、と思いながら式場を後にした。

帰りの電車に乗り込むと、母から何件ものLINEが入ってきた。

何事かと思いすぐに開くと、火葬場に我々を連れて行かなかった懺悔の文字が連なる連なる。火葬場に行ってみたらみんなが来ていて、「子どもたちになぜ遠慮させてしまったのだろう」という後悔の念に苛まれたらしい。

「悲しみで頭がおかしくなってしまったようです」

「血を分けた孫なのに、骨も拾わせてあげられなくて、私はばかです」

と、またしても始まってしまった自虐のループ。

「仕方ないよ」「こんなときは、みんなそうなるよ」なんて、再び心ばかりの言葉を伝えてみたけど、もちろんまったく通じていないご様子。

そんな母の心の回復は、四十九日の参加でしか癒えないようである。絶対参加、30分以上前の集合を課されている。そのキツい感じ、まだまだ支えの手は緩められないな。

とにもかくにも、祖母には穏やかに天に昇ってほしいし、母にも心に安寧を取り戻してほしい。

人の感情とはいかに脆いものだろうと思うけど、脆さを人目に晒すからこそ、心のうちを理解し、支え合うこともできるのだよね。いつか終わる命の旅立ちを受け入れて、まだまだこの世で生きていく者同士、手を携えてゆきたいなと思う。

母よ、早く元気になっておくれ。


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