考え方というメガネ/自我へのこだわりと新しい価値観
人はどうも自我というのに拘ってしまいがちです。
歳を取れば取るほど、こだわりが強くなるという人さえいます。
かつての指導法を捨てられない先生、だとか、かつての仕事のやり方を正解だと信じ続ける上司、だとか、いっぱいいるんですね。
やっぱりそれは自我への強いこだわりゆえなのでしょう。
だから、「変われない」。
同時に、恐れだってある。
やり方を変える、それこそ価値観を変えろなんて話になると、自分を否定された(る)と感じてしまう。そのことがとても恐ろしいわけですね。
何より、自分のこれまでの人生を全否定されてしまったような気持ちになってしまう。
この恐れというやつも、突き詰めていくとやはり自我へのこだわりとみることができるでしょう。
自我に拘ってしまって、むしろ「変わらない」ことに価値があるとさえ思ってしまう。
そうやってなかなか変われない、という人が多いのかもしれません。
でも、必ずしもあなたが否定される、というものではないのですよ、変わるというのは。
従来のやり方を変える、さらに踏み込んでそこにある価値観を変える、
それは、あなたが否定されるということと同義ではないのです。
それを多くの人が取り間違えてしまっている。
ここで否定されるべきは、あなたの「考え方」であって、「あなた自身」でも、「あなたの築いてきた人生」でもないんです。
メガネなんですよ、私たちの考え方というのは。
そう、たかが「メガネ」なんです。
僕らが学びを得る。
学校でもそう、勉強でもそう、仕事でもそう、本を読んでもそう、僕らが学びを得る。
そうすると、何が起こるかというと、当然、考え方がバージョンアップされる。ちゃんと日々学んでいけば、日々そういうことが起こっている。
ここでいえば、メガネがどんどん自分の得た学びによって、ブラッシュアップされていく。ちょっと近視をカバーしやすいメガネになっているかもしれないし、眩しさを軽減してくれるメガネになっているかもしれない。そういう自分なりの考え方というメガネを僕らは人生を通して磨いていくわけです。
そして私たちは日々、そうした自分なりのメガネを通してものを見ている。
メガネが違うというのは人それぞれ、同じものを見えても、捉え方が違うということです。
当たり前ですよね?
メガネ(考え方)がそれぞれ違うんだから、同じものを見たって、全く同じには見えていない。それが正常なわけです。みんな違って、やっぱりそれで当たり前なんですよ。
でも何かもっと人生を豊かにするメガネはないだろうか、とそう思って、やっぱり僕らは勉強する、学び続ける。
逆に言えば、まなびが止まっちゃうと、それこそ大人になったら勉強しなくていい、なんて言っている人は、結構、危ないのがわかるでしょう。子どもの頃に作り上げたメガネで、本当にあと何十年生きるつもりなの?それでいいの?ってなるんですよ。外見は立派だけど、10代の頃に作ったメガネなんです、っていうのは、おいおい、ってなるでしょ?
だから学ぶというのは止めないほうがいいし、これがわかれば止めたくないでしょう?
話を進めましょう。
やり方変えろ、とか、もっと進んで、価値観を変えろって、言われたら、
それは、「メガネを掛け替える」ということなんですよ。
江戸時代はこの眼鏡でよかったんだけど、やっぱり今は令和だし、メガネもそりゃあ時代にあったものがあるはずだからそれに掛け替えるでしょう?
時代にあったメガネというものがやっぱりある。昭和だと見えていたものが、令和だと見えなくなる、やっぱりそうものがあるんですよ。
だから必要なタイミングが来たら、単に今までのメガネを磨くのではなくて、一気に新しいメガネに買い変えなきゃならんって時が来るんですよ。
こうやって考えていくと、考え方なんてのはたかがメガネなんだから、必要以上にナーバスになる意味はあまりないんです。
少なくとも、「あなた自身が全否定された」わけでも、「あなたの人生が無価値になった」わけでもない。
それは、ただ、メガネを掛け替える、という行為に過ぎないのです。
メガネを変えただけで、否定されたとか、無価値になったとか、騒ぐ方がどうかしてるんですよ。
むしろどうでしょう、新しいメガネをかけることで、晴々した気持ちにさえなれるはずです。
人はどうやら、随分と自我に拘りを強く持つ生き物のようであります。歳を取れば取るほど、その自我への拘りが強まってしまう人さえいるようです。
かつての指導法が捨てられませんか、本当に?
かつての仕事術は今も正解ですか、本当に?
僕は新しいメガネをかけていて、それでまた、結構ここのところは、毎年のように掛け替えが続いていて、最近のメガネは、これまた随分と、子どもたち一人一人を、素晴らしく輝いた存在として見せてくれているようです。
僕は決定的に、見えているものが違うのです。そう、かけているメガネが違うからです。子どもたちが一人一人、素晴らしい存在に見えるのです。
いつも言ってますが、僕が通知票をつけたら(5段階の)全部5になる。
まあこれはこれで評価者としては失格なのかもしれませんけれども、
僕は自分のかけたいメガネをやっぱりかけ続けるのでしょう。きっと。
さて、あなたのメガネはどうですか?
そして、自分のゆく道で、どんなメガネをかけたいと望みますか?
(終わり)
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