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本当に賢くなるために

講義型授業はすでにオワコン⁈

本当に賢くなるために・・・。

考えてみてください。

これまで世界中で行われてきた授業はどんな形式のどんな授業だったでしょうか。


おそらくこうでしょう。

「先生が黒板の前に立ち、一生懸命生徒のために講義をしてくれる。生徒は話を聞き、必死にノートをとる」

もしくは、
「先生がおもしろおかしく且つわかりやすく教えてくれる。その話を熱心に聞く。指示があれば指示通りに問題を解いていく」。これが、想像できる授業の形式ではないでしょうか。

先生の話を聞き、先生の指示にしっかり従う。私たちはいわば、先生という命令者にただ従属することで学習してきたと言えます。

そして大人になっても、この形こそがもっとも効率が良く、効果的な学習方法だと信じています。

ですが、もうこれはすべて過去のものでしかありません。


私たちは時代と共に大きく進歩してきました。

今、私たちは何事においても「(強制的に)やらされる」ということが最も非効率であるということを知っています。

「いやいややる」「受け身の姿勢でやる」ということが非効率的であると、すでに脳科学など専門分野で、科学的に立証されているのです。ビジネスの世界では、こうした心と脳の働きを考慮した職場作りやマネージメント手法がとられてきています。人が働くという行為に対しては、心やモチベーションを大切にする価値観がスタンダードとなってきているのです。


では、子ども達が受ける授業はどうでしょうか?

いまだ私たちは、自分たちが受けてきた過去の授業の形から抜け出せず、崇高なまでに指示型・受け身型、一方通行型の授業を信仰しているのです。

強制されることは「(強制的に)やらされる」という感覚を持って勉強をするということです。やらされるという感覚を持ったままでは、脳が真価を発揮することなどできません。


思考停止の罠

ただ一方的な講義を聞きそれをノートに写しさえすれば良いということは、「思考停止」を意味します。

自分の頭で考えるという行為が奪われるということです。

受け身の姿勢で授業を受けるということは、自らの意思を持つのをやめるということです。

発言をしないということは、自分の意見を持たず、考えることを放棄するということです。

自分の考えを人に伝えたり、共有したり「しない」ということは、言語能力の向上を捨てると同時に、他人の価値観を受け入れないということです。


これらはすべて「学び」の本質と「脳」の機能に逆らうものばかりなのです。


それでもまだあなたは「過去に私たちが受けてきた」「私たちがそのように勉強をしてきた」という理由だけで、過去の講義型授業が一番すばらしいものであると考えますか?


コミュニケーションを通じた授業


では、本当に効率よく効果的に学び、賢くなるためには何が必要なのでしょうか。


その一つの答えが「コミュニケーション」です。


私は、子ども達が真の意味で脳を活用し、本当に賢くなるためにコミュニケーションを重視した場を作り続けています。


授業は対話形式で進んでいきます。この場所で授業を受ける以上、対話から逃げることはできません。対話するということは、知識を整理・統合し自分の言葉で発言をしなければなりません。常に自分の脳を使い続ける必要があるわけです。この自分の脳、つまり自分の頭を使って考えるということを大切にしているのです。


「聴く」「質問」「思考」

それでは、コミュニケーションのもたらす効果を、もう少し具体的に考察してみましょう。


まずは、相手の話を「聴く」というところからスタートします。
積極的に外部からの情報を受け取ろうとするとき、まずはこの「聴く」という力が試されます。それも注意深く集中して聴くということが大切です。

授業の中で私が重視しているのは「質問」です。

一方的な講義型では、効果的な質問を投げかけることがなかなかできません。
講義型で授業をする講師が意識的に質問をするとしましょう。しかし、そもそもがその質問に対する「返答」を期待したものではないですから、子ども達も注意深く耳を傾けることができません。同じ様に聞こえるかもしれませんが、ここに実は決定的な差が生まれてしまうのです。
その点、この場所でのコミュニケーションのスタイルは大きく異なります。私は、確実にはっきりと「子ども達からの返答」を期待した授業を組み上げています。簡単に言えば、「講師側から投げかける質問を用意し、子ども達がそれに答えてくれないと授業が進まない形」であり、「子ども達の返答、意見を期待し、最重要視している」授業なのです。


質問の後には当然、子ども達は「思考」をします。
自らの頭を使って考えるのです。

過去の講義型では、考えているように見えるが実際には自分の頭で考えていないということが頻繁に起こります。

どういうことでしょうか?

講義型の中心は「教える」という行為です。ある知識を一方的に教える。そうすると、子ども達は「このことは○○なのだ」と答えを知ります。ここには全く自分の思考を挟む余地がありません。
講師が考えるように促しても、あくまでも教えられた知識をそのままコピー・ペーストするというようなことになります。思考するという行為は、借り物の知識をコピー・ペーストすることだけでは成り立ちません。それでは単に「誰かがそう言ったからこうなんだ」というだけに過ぎないのです。使ったのは他の人の頭なのです。

思考するということは、過去の知識(それも、単に教えてもらったというレベルのものではなく、その真偽を自らが考え理解し、且つ身体性をも伴わせた知識)を引き出し、組み合わせ、新しい概念を生み出すという行為なのです。

良い質問がなされればなされるほど、人は上手に思考することができます。ここでの授業は、単に答えを教えるということではなく、子ども達が答えを自分自身のものにするために思考を繰り返す、その手助けをする授業なのです。


「発言」「言語」

思考の後には、自分で「発言」する必要に迫られます。
知識と自分が言いたいことを整理し、論理立てて発言する。発言という行為が学習効果をさらに高めていきます。

ここで必要なのは「言語」を操る能力です。
私たちは5感で外部からの情報を受け取ります。それだけではありません。私たちはもう一つ、「言語」を使って外部の情報を受け取っています。

たとえば、机の上に「リンゴ」がおいてあるとします。それを見たとき私たちは、その色や形、匂いを受け取ると同時に「リンゴ」という言語で記述された情報を受け取っているのです。リンゴを見ているようにみえて「リンゴ」と記述された言語の情報を受け取っているのです。そう考えると私たちが受け取る情報はすべて言語で記述されたものであると言えますし、世界は言語で成り立っているとも言えるのです。

ならば私たちが生きる世界の中で、より「賢くなろう」とするとき、「言語」を扱う能力は必須といえるのです。言語を巧みに操る能力は、物事を知り活用し人生を豊かにするために必要な「賢さ」に直結する力です。
「発言」するという行為で、私たちは思考を整理し論理立てて人に伝えようとします。自らの頭でしっかり考え理解した「自分の言葉」で人に物事を伝える。そのことが「言語能力」を高めることにつながっているのです。


「共有」「多様性」

さらに、コミュニケーションを大事にした授業では「共有」が生まれます。

自らの意見を言い、仲間と共有し合う。これもまた賢さをアップする秘訣と言えるでしょう。

私たちの世界はネットの発達で劇的な進化を遂げました。グローバルという言葉がもうすっかり浸透してしまっているように、インターネットは世界の人々のつながりを大きく変化させました。

その現代の社会のひとつのテーマが「共有」です。

私たちは今や、メールやSNS(ソーシャルネットワーク/twitterやmixi、facebookなど)を通じて世界中の人々と交流することができます。その交流が「共有」という概念を象徴しています。私たちは、自分が見聞きしたもの、食したもの、感じたもの、それらすべてを世界中の人々と「共有」する時代を生きているのです。
「共有」は「学び」に非常に効果的に働くに違いありません。子ども達が自分の頭で思考した自分の意志や言葉を、そばにいる仲間達と「共有」する。共有することで学びはいっそう加速します。私たちは「共有」により多くの知と多くの価値観を手に入れることができるのです。


それと同時に、「共有」は、多様性を認めるということにもつながっていきます。

世界がより近くなった今、私たちは様々な人の考え方や価値観を受け入れなければならないといえます。相手を認めるというのはその相手の価値観を認めるということです。多様性を認め共存する時代。私たちの授業がもたらす「共有」が、他者の「多様性を認める」という必須の力をも身につけさせてくれるはずなのです。


少なくとも未来の世界の一つのキーワードが「共有」である以上、子ども達の学びの場だけが、「指示・命令に従う思考のできない奴隷」を生むような形式をとっていることは、時代錯誤以外の何者でもないはずです。


私たちが皆様と共有させていただくこの場所は、コミュニケーションを大切にした場です。


キーワードは、「聴く」「質問」「思考」「言語」「共有」「多様性」…。


未来を生きていく子ども達に本当に必要なものを提供する場でありたいと考えています。


本当に賢くなるために…。


(おわり/まなラボスクールホームページより)




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