医療通訳者の葛藤と苦悩
こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112)
今日は日曜日なので短い記事になるが、中身は重い内容になるかもしれない。
医療通訳の話を少ししたいと思う。
産業、ビジネス、商談の通訳と比べ、医療通訳の場合は言葉だけではなく、患者さんという生身の人間相手の一発勝負だ。
医療通訳の依頼を受け、数ヶ月の病院生活を経て、患者さんや患者さんのご家族の笑いから涙までをこの目で見て、学んだことはたくさんある。
今日はひとつだけ紹介する。
医療通訳の下準備はいつもよりかなり大変だ。専門用語ですら馴染みのない言葉が多く、それ以外の例えば「注射針」などは、分かっていて当たり前扱いだ。
そして、いつでも患者さんの病状に合わせないといけない為、僕も病院生活をしなければならなかった。これは、健常者の僕ですら慣れるまでかなり大変だった。
何より、一番大切かつ大変だったのは、患者さんの気持ちを支えることだ。
プロの通訳者として無表情でしっかり訳すが、通訳以外では、患者さんと一心同体、家族のように支える。
相手は複雑な聴神経のガンで、日本の先生による手術が最後の選択肢であった。
ご家族は奥さんと子供3人、すぐ家族のようになった。日本語は話せない読めない、文化は分からない、人生で初めての日本。ましてや病院の流れややり方なんてわかるはすがない。非常に不安な気持ちが溢れていて、トイレですら不安な顔がよく見て取れた。
イタリア人同士として言葉はもちろん、24時間のサポート、色んな他愛もない話などで、日本の滞在を少しでも充実させるようにした。
マッシがいるだけで安心、心強いと言われた時は嬉しかったし今でもその嬉しさは僕の心の支えだ。人間を救うのは人間だと感じた。
僕は、集中力がいつもの10倍はあったように思う。お金より実績より、人間を助けたいという気持ちが最初からあった。
大変だったのは、患者さんの前では悲しい顔や涙を出さないよう、笑顔を絶やさないように精神をコントロールすることだ。
手術の前日に、説明や誓約書に署名があった。患者さんは泣きながら、そして混乱しながら医者や僕にすがりついていた。
お客様でもあり友達でもあり患者さんでもあり、その中で僕は非常に複雑な気持ちだった。今でもどうやって泣かないようにしたのが不思議だ。
普段は人とのコミュニケーションを取って、責任持って通訳するのみだが、医療では、患者さんの気持ち、命、患者さんの家族、と向き合い、受け止めることがプラスされる。とても辛かった。家族にとっても何より、イタリア人の医療通訳者が重要な存在であったことは感じていた。
今まで誰にも言わなかったが、病院の近くのベンチで、分からないうちに涙が流れていたことがある。
泣くのは、通訳者としての最後の感情の捌け口なのだと感じた。
最後に、医療通訳というのは、心と心の言葉の交わし合い、そして人との心の繋がりがある意味、訳すことより重要なのである。
人の命、そのものに極限まで近付いて気持ちを交わす、それを訳す。僕にとって、人生に大きな影響を及ぼした案件だった。
手術は無事に終わり、今でもご家族からは感謝のメッセージをいただいている。
Massi
みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。