見出し画像

傷は、誇り高き勲章

昨日から、両足の“踵”が靴擦れにより負傷中である。

最近、久しぶりのブーツを履くのが楽しくて、
慣れない靴を履いているにも関わらず、弾丸旅行に行ったり、少し遠くまで足を伸ばして散歩に出かけたりしていたため、
どんなにまだ歩く気力が残っていても、
踵はとうに限界を迎え、ついに出血してしまった。

お風呂に入ると、
全身が癒やされていくのと対照的に
踵だけは痛みを訴えてくる。
小動物でも噛み付いているかのような、電気が走っているような…そんなピリピリとした痛み。

靴下についた、赤い染み。
丸い傷の、外側だけがかさぶたになり始めている踵。

しかしこれは、私が頑張って歩いた証。
いわば、“勲章”だ。


勲章、いろいろ。


「擦りむいた膝のかさぶた」
たくさん遊んだ、たくさん走った勲章。

「手荒れした手」「しわしわの手」
寒い冬でも食器洗いやお風呂掃除を頑張った勲章。
そして、今日まで生きてきた勲章。

「すり減った靴底」は、
自分の足でいろいろな場所へ赴いた勲章。

「目の下のクマ」は、
パソコンに向かい懸命に作業をこなした勲章。

「涙」は、
頑張った、辛かった、耐えた、報われた…そんな人生の一場面を乗り越えた勲章。

「心」は、
目に見えなくても、人となりから、経験や思い出によりさらに高まった人間力を表す勲章。

…きっと、他にもたくさんあるのだろう。
数え出したらキリがないほど。

どんな傷も、誇るべき勲章だ。


癒える傷と、癒えない傷


「踵の靴擦れ」や「かさぶた」のように
いつかは必ず癒える、傷。

これらは
その日をただただ待つのではなく、
傷が消えるその時まで、
自分の一部として誇りを持っていこうと思う。
どうせいつかは治るのだ。
ならば治るまでの期間、「私はこんなに頑張ったんだ」と自分を褒め称え、薬を塗って労わってやろうではないか。


一方で、「しわしわの手」や「心」など
なかなかすぐに癒えることは難しい、傷。

これらは時間をかけて、ゆっくりと向き合って自分をケアしていきたい。
手の皺には、毎日ハンドクリームを塗る時間を作ってみたり。

心の傷には、話す、書く、表現する、歌う、泣く、ぼーっとする、忘れてしまうほど楽しいことを見つける…など。休みつつ、色々な対処法の可能性を探ってみたり。

自分自身を大切に思いやる気持ちが、一番の特効薬なのだと思う。


しかし決して悲観的になることはない。

わかりにくくて、目に見えない傷こそ。

「あれ、嫌だったな」とか
「あの頃、辛かったな」とか。

そういった自分自身の経験が、
誰かの気持ちを思いやる心を育んだり
過去の自分と同じ時期に、似たような思いをしている人生の後輩たちの、力になれる日がやってくるのかもしれない。

そう考えると、癒えない傷を負った原因となる出来事は
人生の最高の学びなのだ。

そしてその傷を抱えた人は
誰かの最高の師にもなりうるのではないだろうか。


時には
「あると恥ずかしい、消して綺麗にしたい」と思うような勲章もあるかもしれない。

しかし
実際は何も恥ずかしがるようなことではない。
むしろ、誇るべきものだと思うのだ。

生きている証。生きてきた証。

あらゆる傷は、勲章だ。

そして勲章を手に入れ、身につけている人は皆
とてもかっこいい。


踵の勲章に薬を塗り、手入れをする。
かさぶたとなり、この傷が完全に癒えるまで
頑張ってたくさん歩いた自分を褒め称えていこう。


2023.11.19


この記事が参加している募集

私は私のここがすき

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?