見出し画像

気持ちの「旬」は、今を時めく。

一昨日、長らく読めていなかった文庫本を読み終えた。

なんだかずいぶん前に購入したもののように感じていたけれど、今読んでも、とても魅力的な作品だった。

そして
気持ちにも「旬」というものがあるようだと感じた、最近のこと。


気持ちの「旬」


購入した時、私はあと数ページで終わる読みかけの本があったため、「自分も読みたい」という友人に、先にその本を貸した。

その後、
残りの数ページを読み終えた頃には、友人がまだ読んでいた。
待ちつつも、本屋さんや図書館を散歩していたら、新たに読みたい本に出会い、先に読むことにした。

友人から返してもらった頃には、すでに夢中な本に続けて出会っており
“その本を読みたい気分”になるのを待ち、読むのを先送りにしていたのだ。


改めて振り返ってみると
本を購入したのは6年前だった。

驚いたけれど
今の自分が読んでも、やはりとても素敵な物語だった。

しかし、これを6年前に読んでいたら。
もっと自分の心に大きく響き、印象にも強く残ったことだろう、とも思った。


「トキメキ」と「時めく」


野菜や果物

流行りのもの
noteの下書き

それぞれ、最適な時期、出盛りの時期、話題な時期がある。
その時期だからこそ
美味しくて、楽しくて、心に響くもの。

毎年咲く花や、毎年実る食べ物のように
“一定のスパンで訪れる楽しみ”がある一方で

“タイミングを逃してしまうと、二度と訪れないもの”もあると思う。

また
世間ではブームが去ったとされるものが
“遅れて、自分にだけ訪れること”もある。


…ただ、“気持ち”における「旬」には、「トキメキ」が大きく関係しているような気がした。

世間は関係なくて
今の自分が「ときめいたモノ」と
熱が冷めたなら、「ときめかなくなった」というだけのもの。


最近は
秋刀魚が不漁だとか、温暖化でレタスやキャベツなどの生産に影響しているとか…これまで当たり前だった毎年訪れる「旬」のものも、今後も保証されるわけではなくなっていくのかもしれないけれど。


…なんて考えていたら
「ときめく」という言葉を初めて調べた、ある学生時代の日を思い出した。


「トキメキ」は、「胸がドキドキしている」ようなイメージだ。
自分にとって素敵な物事に出会った時に、嬉しかったり、感動したり、憧れたり、期待したりして。

そしてもう一つ。
古語の「時めく(ときめく)」「時世にあって栄える」。
「もてはやされる」
とかもあったかな。


この古語の意味を知った時に、「ときめく」という言葉が、突然魅力的に映るようになった。

「今をときめく〇〇」という表現がスッと腑に落ちたことと
「トキメキ」というよくわからない名詞のように感じていたものが、「時めく」という動詞として、一気に“美しい日本語”のように感じたのだ。


…そして今も、思う。

きっと、気持ちにも「旬」というものがあって

「この本を、今、読みたい」という自分の“気持ちの旬”に沿って
私はときめいていたのかもしれない。


穏やかに、夢中。


学生時代は、学生が主人公の物語をよく読んでいた気がする。

10代には10代の
20代には20代の登場人物の多いもの。

学生時代には、学生の登場する青春ドラマ。
社会人には、社会人が登場するヒューマンドラマなど。

もちろん
ミステリーやファンタジーも好きだけれど
登場人物や設定が近いと、共感できて、入り込みやすい。


しかし
世界観や年齢層が、現実と少し離れていようと
面白いものは、やはり面白いのだと思った。

なぜなら小学生の頃に夢中になっていた作品を、今見てもやはり面白いと感じることができるからだ。


…それでも。
あの頃のトキメキは若干、色褪せたように感じる。

面白いのだけれど、そこまで感情が高ぶらない。
気持ちが穏やかなまま、夢中になっている。


それが嬉しいのか、切ないのか。
正直よくわからない読了後の気持ちだった。


自分の中の「旬」


これまでときめいていたものに、あまり魅力を感じなくなった時。
あんなにキラキラと輝いて見えていたものなのに、今はなぜか、そこまで何かを感じない。
…まるで魔法が解けたような感覚で、少し寂しい気持ちになったことがある。

大人になったから、とか
もう飽きたから、とか

色々な解釈はできるけれど、その中に
ただ「旬」を逃した、もしくは「旬」が過ぎたというだけなものもあるのかな、と思った。


「今をときめくもの」が「世間にもてはやされているもの」だとしたら

「今をときめく私」は「自分の旬な気持ちに、私自身がもてはやされている」のかもしれない。


…それなら喜んで、もてはやされよう。
「読みたい」と思った時に、なるべくすぐに読むようにしよう、と思った。

自分の気持ちの旬を逃さないため。
今を時めくため。

なんだか楽しそうだし、自分もイキイキしそうだ。
何より「旬」なのだから
その時期が一番、最大限にその魅力を堪能できるはずだ。


多分それは、その時に読むべくして出会った、縁のある作品なのだ。
本だけではなく、何にしても。


明日がある保証なんてないのだから

世間は関係なく
「自分の中の“旬”」を大切にしようと思った。


その文庫本につけ続けていたお気に入りのブックカバーが、少し古びている姿を見て
本の内容よりも先に
「旬」と「ときめき」について考えた、一昨日。


もしも、6年前に読んでいたら。
今の自分は、ちょっとだけ違う自分になっていたかもしれない。

でも
今になって初めて、この作品を読んだからこそ
この記事を書く自分がいて、こんな気持ちになった自分がいる。

結局、「良い・悪い」はないのだろう。


…ただ。
この本を読んだ友人と、すぐに語り合えないのだけが残念だ。




2024.8.26

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?