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天気の話を楽しめる人に。

「今日はいい天気ですね」
「そうですね」

この会話をどう感じるかは、その時の雰囲気や、話し相手との関係性、互いの体調など色々含めて、時と場合によるだろう。

先日、美容院にて
初めましての美容師さんと、“天気”の話をした時のこと。


「今日はいい天気ですね」からスタート


その日は面白いことに、2人の美容師さんと「天気の話」スタートで会話が広がっていった。


「今日はいい天気ですね」
「そうですね。昨日は雨でしたもんね」
「雨だとジメジメしているし、髪の毛も広がっちゃって…ちょっとテンション下がりますよね」
「わかります、私もなんです。」
「だから最近は髪を縛るようにしていて。」
「そのヘアアレンジ、素敵だと思ってました!」
「ありがとうございます!簡単ですよ!あとでお教えしますね。」

一人は“天気”から、“ヘアアレンジ”の話題へ。


「今日はいい天気ですね」
「そうですね。気持ちがいいです。」
「今朝、散歩したんですけど、田んぼがキラキラしていたんですよ。」
「えー素敵!雨上がりの朝の散歩、いいですね。」
「あまりにも気持ちが良かったから、子供達と一緒に。そんな時間に余裕ないのにね。笑」
「私も散歩好きで、よく行きますよ。気持ちいいですよね」
「ここの散歩コース、おすすめですよ。子供達もはしゃいじゃって。」
「お子さんはおいくつなんですか?」

一人は“天気”から、“散歩コース”や“家族”の話題へ。


…同じスタートでも、展開が違って面白かった。


捉え方、いろいろ。


よくドラマなどで
雑談の時に「天気の話」をしたらダメだ、とか
「そうですね」で終わらせず、話を膨らめよう、とか。

「天気の話」に対して、
「苦しい・気まずい・つまらない」など、少し残念なイメージを持った表現に出会うことがある。

こういう場面では、緊張や関係性など、何かしらの原因はあるものの
“よほど話すことがない時のツール”として登場しているような気がする。


確かに、会話が終わってしまう時もあるかもしれない。
会話を広げる元気がなかったり、今は話す気分ではなかったり。
逆に、頭はフル回転なのに、上手く話を広げることができず、もどかしくなったり…という経験はある。

…しかし、それはそれで、いいような気もする。

むしろ、同じ世界を生きていて、偶然同じ空間にいる人と、「空が晴れている」とか「今日は暑い」だとか…そういった会話ができるなんて、それだけでとても素敵なことなのではないだろうか。

“会話のきっかけになった”というだけで、十分その役割は果たしている。

そこから会話が広がり、もっと仲良くなったり話が広がっていったら、それはそれで楽しいな、と思うし
一瞬でも“天気のことで誰かと心を通わせる”ことができたなら、それだけで嬉しいな、と思う。


たとえ会話がすぐに終わってしまっても、
その一見気まずそうな“沈黙”を、会話の後の“余韻”と捉えてみたら、随分と気持ちが楽になった。


文字通りに、心も感じたい


会話のきっかけだとしても
同じ窓の外の景色を眺めて、同じ空間で、同じ天気を一緒に共有する時間。

「今日はいい天気ですね」
「そうですね」

話すことがないから、とか
とりあえずきっかけ作りに、だけではなく

「今日はいい天気だなあ。」
「本当にそうですねえ。」というように

“文字通り”に天気のことだけを想い、心もそう感じていたい。



これからは
「今日は暑いですね」スタートの会話が増えていくのかもしれない。
その“暑さ”を共有する時間を、大切にしたいな。


私はきっと、こういったあまり意味のない会話を心から楽しめる人と話すのが好きで、自分自身もそうありたいと思った。
きっと、話し相手の言葉に嘘がなければないほど、自分もリラックスできる。


会話の時に、もっと力を抜いて
“心”と“言葉”が一致しているかどうか、ちょっと気にしてみようかな。




2024.6.1

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