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叫びたくなったら、歌を歌う

疲れや、ストレスが溜まった時。
悲しい時、悔しい時。

反対に、エネルギーが有り余っている場合。
楽しい時、嬉しい時。

心のボルテージが上がっていく。
最高値までいきそうになって、叫びたくなるようなところまで行ったら

私は歌を歌うことにしている。


枕に叫ぶ


小さい頃。
ディズニー映画『リロ&スティッチ』で、姉妹が喧嘩をするシーンを見た。その時に、2人がそれぞれ別の場所で、枕に向かって叫んでいたのだ。


私はこのシーンを「好きだな」と思った。


理由はおそらく
単純に、自分が叫びたい時も使える!と思ったのと
クッションを当てることで少しでも叫ぶ声を吸収させ、「誰か」や「どこか」に迷惑をかけまいとしているとしたら…そこに2人の“思いやり”と、“優しさ”と、“愛”を感じ、2人のことがキャラクターとしてより魅力的に映ったからだ。

そんなわけで、自分も試してみたことがある。

…しかし、アニメのように上手くはいかなかった。


小さな声から試したけれど
意外と、音が漏れている気がする。

長く枕に叫んでいると、枕の真ん中にシミができるほど、湿気が一部に溜まる。

息ができず、唾液が溜まって叫びづらい。

…など。

逆に周囲や「枕」本体に気を遣ってしまい、ストレス発散どころではなかった。

枕の真ん中にできた染みをティッシュで拭き、風を当てて乾かす始末。
「叫びたい」というワイルドな一面を差し置いて、几帳面に自分の尻拭いをしている自分を客観的に見て、余計にテンションが下がったものだ。


思えばこの経験以来、
大きな声を出したくなったら、歌を歌っているような気がした。


大きく吸って、大きく吐いて。


人は常に、息を吸って、吐いている。

それを、ちょっと大袈裟に。

吸う時は、お腹を使って吸い込んで
吐く時は、長く、大きく、大切に、吐く。

音を綺麗にとることよりも、
“長く大きな深呼吸を繰り返す”ことが、“叫ぶ”という行為にどこか似ているのかもしれない。

そこでリズムに乗り、音程を取るか
単純に一音で「あー!」と叫ぶかの違いだ。

「全身を使って、大きな声を出す」という点では共通している。

だから、たくさん歌った後は疲れている。

エネルギーを消費した証拠で、心地よい。
これがいい。
叫んだ後に「スッキリする」という感覚に近いのだ。


減ったり、増えたり。


心のボルテージの最高値が「10」だとして
歌うことで「7」、「8」くらい発散できたとする。

歌いすぎて声が枯れたら、上手に歌えなくなって
そこでちょっとだけストレスを溜めて
結果「1」増えて、帰っていく。

また「10」に近くなったら
時々発散させてあげる。

これを繰り返しているような気がする。


歌だけでなく、なんでも当てはまることだ。

「食べる」だったら、美味しいものを食べることで発散する。
その後ちょっと体重が増えたり、体脂肪が増えたりして「1」増える。

「本を読む」だったら、本の世界に入り込んで発散する。
その後、肩が凝ったりして「1」増える。

「誰かと話す」だったら、話すことで発散する。
上手く言葉にできなかったり、思わぬ出費などで「1」増える。


減らしては増えていく数値の様子を見ては、
面倒に思いながら
自分のご機嫌を伺いつつ、淡々と生きているけれど

時には
大人だって大泣きしてみたり
登った山頂で大きな声を出してみるのもいいのかもしれない。



とにかく自分のキャパシティーを超えないように。
超えそうになったら発散させる。

それが
「枕に向かって叫ぶ」から「歌を歌う」に変わった。

ということに、ふと気がついた今日の午後。



大きく息を吸って、大きく長く吐いて。

何も解決しなくても
ちょっと歌っただけで
一旦少し、心の空き容量が増えたような気がした。

ああ、そういえば少し前も
Adoさん思い切り歌ってスッキリしてたっけ。




2024.5.15

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