2022年のポップ・カルチャーを振りかえる


年末年始を過ごしたロンドンにて
年末年始を過ごしたロンドンにて


 2022年もポップ・カルチャーに触れていて感じたのは、自身の背景を強く滲ませた正直な表現が増えたということです。音楽作品でいうと、リナ・サワヤマの『Hold The Girl』は、これまで以上に自らの切実な想いが込められた素晴らしいアルバムでした。ロイル・カーナーの『Hugo』も、人生を振りかえりながら、自分の怒りや憎しみと向きあう痛みが顕著な作品と言えます。
 この傾向は今年突然始まったことではなく、数年前から兆候がありました。その具体例のひとつは、プロデューサー/DJのロティックが2018年に残した発言です。発言はPC MUSIC周辺のアーティストに向けた批判で、ミステリアスかつクレバーな皮肉が目立つ表現は、裕福なキッズによるアートに過ぎないというものでした。
 ロティックの批判は、当時PC MUSICに所属していたGFOTYがSNSで人種差別的ジョークを放ち、炎上したのがきっかけでおこなわれたものです。皮肉やアイロニーであっても、批判的ニュアンスを伴わない差別的表現が許されていいのか。いま考えると、そういった問題提議がロティックのPC MUSIC批判には見いだせます。この出来事は、PC MUSICを始めとした、皮肉を隠れ蓑に本心を表さない作品が多いポスト・インターネットへの批判がもともとあったことなど、いくつかの文脈を把握していないと理解が難しいものです。とはいえ、ミステリアスな立ち居振る舞いで注目を集めていたGFOTYの人種差別的ジョークが、ポスト・インターネット的表現の信頼と人気を著しく落とした事象のひとつなのは、事態を深く知らない音楽リスナーでも察しがつくと思います。

 こうした流れの影響か、ポスト・インターネット的表現を使いつつ、本心を隠さない人も増えてきました。なかでも筆者が興味深く追っていたのは、ロンドンのレーベルChildsplayとその周辺のアーティストたちです。以前ブログでも書いたように、活動当初のChildsplayは際立った特徴がありませんでした。ところが、ヴィジル「I̾N̾2̾D̾E̾E̾P̾」(2020)のリリースを機に、ポスト・インターネット的表現によく見受けられる3Dアートをジャケットで使いはじめるなど、急激に変化しました。
 この変化に対し、当初はあまり興味を持てなかったのが正直なところです。少し遅れて流行に乗っただけではないか?と思ったからです。しかし、ウクライナ支援を明確に示すなど、従来のポスト・インターネット的表現ではあまり見られなかった正直さが目立つこともあり、熱心にレーベルの活動を追うようになりました。ヴァガボンなどの登場によって、かつて白人男性中心のシーンと批判されたエモが変化したように、ポスト・インターネットとその要素を含む表現全般でも、価値観の更新が始まったのかもしれません。

 正直さを飾らないこととするならば、スニーカー界でブームになっているネオ・ヴィンテージも、正直さが求められる現在と共振する動きに見えます。多くのファッション・アイコンが80年代モデルのヴィンテージ・スニーカーを履き、その姿をSNS上にアップしたことで広がったネオ・ヴィンテージは、色褪せた風合いをあえて作るというところまで行きつきました。ソールを日焼けしたように加工できるカスタムペンが人気を集めるなど、さまざまな人たちが汚れを求めた。
 当然、産業側はネオ・ヴィンテージ・ブームにすぐさま反応しました。プーマからはスウェードVTGザ・ネバーウォーン、アディダスからはフォーラム84ローという経年劣化を再現したシューズが発売されたのも記憶に新しい。
 本音を言えば、ここまでくると少々滑稽に見えてしまいます。大衆の変化に乗じて、わざと汚したスニーカーを新品の値段で売るのは、あまりに商業主義的で好きじゃない(私の場合、わざわざ買わなくても長年履いたスニーカーたちがネオ・ヴィンテージの香りを放っています)。とはいえ、お金を出してまで、ありのまま風のアイテムを手に入れたい人が少なくないと示す事象の一例としては興味深い。

 NewJeansも2022年のポップ・カルチャーにおいて興味深い存在でした。今年7月にデビューした韓国の5人組は、ヴィジュアル表現でペトラ・コリンズやオリヴィア・ビーといった写真家のセンスに通じる姿を披露するなど、2010年代のカルチャーもノスタルジーの対象になったと思わせる側面が多い。K-POPにしては音数を詰めこんでいないデビュー曲“Attention ”のオルタナティヴ性も含め、新世代を感じさせます。
 一方で、彼女たちの表現には懸念を抱いてしまうところもあります。なかでも、唇や目元をアップで映すという露骨な性的表象も際立つ“Hurt ”のMVは、ソルリの顛末をリアルタイムで見たひとりとして、危ういと思ってしまいました。この点の詳細は既に書いたので、読んでもらえたら嬉しいです。大人が少女たちとモラトリアムを商品として市場に差しだす危険性は、もっと多くの人が意識したほうがいいと思っています。

 ネット上でSNSのアルファアカウントが個人のベスト作品を発表することも恒例になった印象ですが、このことについて思うことがあるので最後に書いておきます。
 一時期は私も、有名メディアやライター/批評家とは違う視点を楽しんでアルファアカウントのベスト作品リストを見ていました。しかしここ数年は、おもしろいと感じなくなってしまった。12月の終わりごろになると、我先にとほぼ一斉に発表するような空気と流れが出来てしまい、それが極めてマスメディア的な慣例と似ていてサムいと思ってしまうからです。
 筆者の観測範囲では、12月に入ってすぐにベスト作品を発表する人やマスメディアも見かけます。12月末に発表される作品があるにもかかわらず。マスメディアはともかく、しがらみがないはずの一般リスナーまで、慣例(と多くの人が勝手に思ってるもの)に縛られさまざまな表現を取りこぼす必要はまったくありません。
 そういった雑感があるため、さまざまな表現をより丁寧に消化し、その中からさらに厳選したベスト作品を発表するようになりました。この文章も2023年に入ってから書いてますし、同年1月の中ごろまでは昨年リリースの目ぼしい表現と向きあっていました。偏屈、頑固、意固地と言われたらそうかもしれませんが、大勢がファストにいくつもの表現を貪っている横で、じっくり咀嚼しながらのんびりと楽しむ人がいてもいいはずです。

 以上が今年のポップ・カルチャーに対して抱いた主な雑感になります。選考基準はこれまでと同じです。質をふまえつつ、同時代性も考慮しています。ベスト20としたのも昨年と同様の理由なので、興味がある方は2021年のベスト記事も読んでみてください。ブログやWebメディアで取りあげた作品にはリンクを貼っているので、よろしければ。
 それでは、下記にまとめたそれぞれのベスト20を楽しんでください。筆者の審美眼があなたに少しでも刺激をあたえられたら嬉しいです。

2022年ベスト・アルバム20
2022年ベスト・トラック20
2022年ベスト映画20
2022年ベスト・ドラマ20
2022年ベスト・ブック20


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