只今、読書中。「ダリの告白できない告白」 サルバドル・ダリ (著) 2

※この記事は、私が今、読んでいる本を読んだところまで適当にまとめていきます。

スペインの画家、サルバドール・ダリによる1973年、69歳の時の自伝。
(前回はこちら)

子供時代の思い出を一旦、中断して思索に入る現在のダリ。矛盾への賛美、死への賛美、むさぼり食うこと、そして排便への賛美……今度はうんこか。

再び、子供時代へ。可愛かった自分を思い出してうっとりする現在のダリ……たしかに。この本の冒頭に写真が載っているけど、かなりの美少年だ。

強い父親への憧れと憎しみ。そして父を困らせてやるために、わざとベッドの中で放尿する少年のダリ。さらに悪ノリしてこっそりと家の絨毯や階段にうんこをするダリ……また、こんな感じか。そして、家族がダリの糞便を見つけて大騒ぎする声を聞いて喜んでいるのだ。今のところ、この男が生まれてきて良かったことは一つもない。
ちなみにこの記事を露悪的にするために私は「うんこ」と書いているわけではない。本文中にもちゃんと「うんこ」と表記されている。

この頃から目の前の風景や、記憶を混ぜ合わせて白日夢を自由に操れるようになった少年ダリ。この天才的な感性が芽生えた俺の前では、父親なぞ、最早敵ではないのだ。しかし、後に画家として大成功したからといって、俺は父親を見下したりはしていないんだぜ、と自分の器のデカさを我々読者に見せつける現在のダリ。

そしてダリが天使と呼ぶ愛する母の思い出。お茶を飲む時に、吸い口のある変わった形の容器に押し当てられる自分の母親の唇を、じーっと見つめるダリ少年……さすがに蛆虫、うんこに比べれば、かなりマイルドにはなったが、これはこれでなかなか気持ち悪い。

その思い出の中で、ちょっとびっくりする記述が出てくる。少し横道にそれるが、母親が操作する自宅の映写機でダリは『旅順攻落』という記録映画を見た、といっている。さしたる感想は述べてはいないが、これは内田百閒の小説『旅順入城式』の中で、百閒が見たという活動写真(小説内では映画のタイトルは書かれていない)と同じものではないのか?
もちろん、日露戦争時の旅順攻略を扱った記録映画が複数存在したとも考えられるが、当時の日本で戦地で映画撮影をするとなると、そんなに多くのカメラマンが現地に行っているとは考えにくい。全く同じものを見た、とは言い切れないが、タイトルが異なる、あるいは編集が異なるなどのバージョンの違う記録映画があったにせよ、少年のサルバドール・ダリと大人の内田百閒が別々の国で少なくとも、同じ素材の映像を見ていた可能性は高い。

やがて、突然訪れる母の死。ダリは自分から母を奪った運命というものに対して復讐を決意するのであった。

今回はここまで。

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