コロナ禍の中での私の精神状態

ご承知の通り、ただ今、新型コロナによる緊急事態宣言中である。

昨年、私はこのコロナ禍による「うつ」状態になった。といっても精神科に行ったわけではないので、そこまでではないのかもしれないが、ともかくも、かなり精神が不安定な状態になってしまったのは確かだ。

今現在は多少、気持ちも持ち直しているので、これを書いてみることにしたのだが、果たして自分の状態を文章で表に出すことによって少しは良くなるのか?
あるいは逆に変に意識してしまって悪化してしまうのか、取り合えずやってみよう。

この新型コロナによる世の中の変化に対して、実は昨年の夏ぐらいまで、自分は全く平気だった。
この病気に対する私の構えは多くの人たちと同じだったと思う。極度に恐れるわけではない。とにかく外に出るたびにいちいちマスクを着けたり、手を消毒しなければならないということが、ただただ煩わしかった。
もともと私はそんなに外に出ていくタイプではない。緊急事態宣言による店の閉店なども、確かに不便ではあったがこれといって自分の生活が変化したわけでもなかった。

緊急事態宣言が解除された。道路を歩く人の数が目に見えて増えていた。知らない人たちと駅に向かってぞろぞろと歩いたり、また、こちらに来る人とすれ違う時に、自分の身体を少しずらしたりする感じを久しぶりに味わった。そして自分がこんなに街の雑踏というものに心を惹かれていたのか、とあらためて思った。

今まで閉まっていた駅ビルに入ってみた。それなりに広いフロアの売り場のそれぞれがすべてビニールで仕切られている。
今現在は、防護用のビニールはアクリル板となり、それなりに規格され、デザイン化されて店のカウンターなどに配置されてはいるが、その時はほぼ全ての売り場がそれぞれ急ごしらえのビニールがただ、吊るされているだけのものであった。
もちろん、コンビニや近所のスーパーではすでに見知った風景なのだが、広い大きな規模でこの光景を見るのは私にとってはかなりショックだった。
何だかこのフロア全体があちこち傷だらけになって、そこにそれぞれ雑に包帯が巻かれているようなイメージが瞬時に浮かんでしまった。「ああ、本当に世の中が病気なんだな」と思ってしまった。
考えてみれば、包帯のイメージは病気ではなく怪我なのだが、その時はそんなふうに連想を自分の中で繋げてしまった。

とはいっても、私の気分に変化が出たわけではない。日常も一応は動き出したし、自分の生活も本当に幸いなことに、さほど経済的なダメージを受けることもなく続いていた。
夏が終わりになってきて、マスクを着け続けることが少しだけ楽になってきた頃に「これは一体、いつまで続くんだろうか」と、つい、思ってしまった。と、急にガクッと自分が落ちた気がした。

実は少し前から、私の精神の荒廃が始まっていたような気がする。
この頃、すでに作品を描くことが少しずつ辛くなっていた。絵を描く、どころかアイデアを考えることさえ、困難になってきた。もう、駄目かな、とも思ったが、自分が駄目になること自体にそんなに意味があるとも思えなかった。

私自身が妙に自分を包む身体という存在、特に皮膚、というものに捕らえられている気がしてきた。もちろん、そんなものを軽く突破するものが、私にとっては自分の作品を描くこと、他人の芸術を見ること、であるのだが、自分が作品を描けない状態で、マスクを着けてわざわざ美術館に行く気にもなれなかった。

人間は唾液、皮脂の固まりであり、それをまき散らしていく。志の高い人間も低い人間も関係ない。自分も含めて全ての人間は等しく不潔であり、危険である。
この疫病のせいで、私自身の存在価値、だけでなく、人というものの存在価値が、えらく低く見積もられたような気がした。
ある意味では、すごく平等な世界観なのかもしれない。そんなふうにシニカルにこの状況をとらえることも出来たのだろうが、この世界観に乗っかることは出来なかった。自分の気持ちが落ちているとはいえ、さすがにこの考えは暗すぎた。

私は別に他人を100パーセント信じるわけでもないし、また、100パーセント疑ってかかるわけでもないのだが、に、しても、人体から唾液や汗として出る不潔な物、(不潔、などという言葉を久しぶりに意識してしまった)それに触れたくない、という思いが、もともと自分の中に持っていた人に対する不信感と結びつく。そして私も他人からそのように見られているのかも、という思い。
嫌な思考の連鎖だが、なかなかそこから逃れることが出来ない。

発想も浮かばない、当然、新しい作品も描けない今の状態で、私自身の可能性がこの先あとどれくらい、この私自身のしょぼい身体というものの限界の中に閉じ込められてしまうのか、という感覚。
この感覚が毎日毎日、チクチクと自分自身を刺してくる。

これは今になってある程度、落ち着いてから振り返ってみると、大方、このような思考の流れであったような気がする。昨年の何カ月かは、不安や怒り、焦燥感や絶望感が混ざって、ひたすらぐるぐる回っているだけだった。

精神が落ちていってからは、これといって自分の気持ちに変化はなかった。とにかくこの嫌な、どんよりとした感覚がひたすら続いた。続く、ということがさらに少しずつ自分を下の方へとゆっくりと沈めていく。

今の私はここからだいぶ回復し、精神的にも安定してきている。やはり作品制作というものに無理にでも集中するようにしたこと、あるいは単にこの状況に対して「あきらめた」、「慣れた」ということもあったかもしれない。
もちろん、日々の気持ちの上がり下がりはあったのだが、それを今更細かく掘り下げて書いていくことは、あまり今の自分の精神にとっても有益ではないようだ。

一応、精神が悪化していく思考の道筋は自分なりには解明出来たのではないか、と思ってはいる。

この新型コロナはまだまだ続きそうだ。
再び、自分の精神が不安定になった時は、この文章を読み返してみれば、自分の気持ちが、今、どのあたりをうろうろしているかの、取り合えずの目安にはなるだろう。

昨年からのコロナ禍の中で、自分がどういった精神状態であったか、その記録としてはこの程度でいいのだろう、という気がする。

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