只今、読書中。「ダリの告白できない告白」 サルバドル・ダリ (著) 10 最終回

※この記事は、私が今、読んでいる本を読んだところまで適当にまとめていきます。

スペインの画家、サルバドール・ダリによる1973年、69歳の時の自伝。
これまでの記事はこちら (1)~(9)

第二次世界大戦が始まった。「戦争など俺には関係ない」と、フランスでひたすら古典技法の研究を続けるサルバドール・ダリだったが、戦火の拡大を逃れて、内戦の終わったばかりの故郷、スペインに戻る。父との再会、そして荒廃してしまった故郷の姿にショックを受けるダリ。その後、ダリはガラとともにアメリカに渡る。

1940年代後半から1950年代。ダリも大御所になってきた。
ここから、アメリカでのセレブ達との交流が語られる。それぞれの人物描写やエピソードなどを面白おかしく語っていくダリ先生なのだが、読んでいてもなんだか味気ない……ここには、芸術、というものがないのだ。こちらも別に芸術家というものが特別な存在で、それに比べれば金持ちの話など、と思っているわけではないのだが、やはりページをめくっていても何ともいえない淋しさを感じてしまう。

ロルカがいた。ブニュエルがいた。永遠のライバル、ピカソがいた。ケンカ相手のブルトンがいた。この記事では長くなるので省略してしまったが、たくさんのシュルレアリストたちがいた。それぞれがおのれの芸術を賭けて、共鳴するにしろ、反目するにしろ、バチバチと火花を散らしていたあの輝きがここにはないのだ。

1973年に出版されたこの本だが、「自伝」としての部分はこの時代で終わっている。この先は語ることが特にないのか、ダリが単に面倒くさくなったのかはわからない。

ここからやっかいなダリのダリによるダリのための思想が延々と語られていく。
「宗教を否定した実存主義はもう終わりだ。これから必要な宗教は今までとは違う! それは俺様、このダリの描くキリストなのだ!」
「エロティックな妄想は神の道へ通じる王道だ」そして続けて「私は半世紀以上の長きにわたる自慰の訓練により、自己の性器に対する真の信仰の創造へと私自身を導いたのだ!」……え?……何を言ってるんですか?……
ダリの考える社会とは……「民主主義などくだらない。本当に正しいのは君主制だ。それは我々の細胞に刻み込まれた本来の秩序なのだ。しかし、この私は無政府主義者だ。私は自由なのだ」「この社会が不平等なのは当たり前じゃないか。俺はな、乞食の横をキャデラックで通り過ぎてやるぜ!」

自分が作品を描く時にどのように取り組むかを語るダリ。
時間、空間、宇宙の秘密、神、エロティシズム、数学的な定理、そして、眩暈、白日夢、形而上学的云々、などなど衒学趣味丸出しで制作の過程を語り倒していくダリ先生。一読してその全ての意味を掴むのは難しい。

しかし、制作への自分の心構えについては……「私は、怠惰な傑作などというものはあり得ない、と自分に定めている。いかなる創作も人間全体の緊張を要求し、自分の能力だけで自己満足するわけにはいかぬ」と語るダリ……これは本当に素晴らしい言葉だ。

そして今や夫婦関係というより自分と一心同体になってしまった、というガラへの賛美に続いて、やはりこの男、ピカソについて語る始めるダリ。

現代絵画において重要なのは我々二人だけだ、とダリは言う。ピカソは絵画の破壊者、そして私は絵画の救世主だ。そして「彼は私の灯台だった。彼の眼は私の指標であった」と素直に語るダリ。
ここでダリは毎年、ピカソにカードを送っていることを告白している。ピカソからの返事はない。ダリにとってはピカソは永遠に憧れの人なのだ……この本の出たのは1973年。その同じ年の4月にピカソは死去している。ダリはとうとうピカソから返事をもらうことはなかった。

現在69歳のダリはこの本の書き出しの部分で、自伝というものをあえて自分が死ぬところから始めた。俺は死んでぐちゃぐちゃに腐って、そこに蛆虫が沸いて……それを想像するのが俺の喜びなんだぜ、といきなり読者をドン引きさせる。
そしていよいよ最後のパート。やがて訪れる自分の死について、俺は死んだら自分の死体を冷凍保存するのだ、などと言い出すダリ先生。「やがて科学技術が発達し、若返りの方法も発明されるだろう、人々は天才ダリを再生し、俺は若返り、太陽が消滅するその日まで生き続けるのだ!」と語るダリ……何だか言っていることが最初と変わってるんだけど……次のページをめくるとここから「ダリ・年表」となっている……え? 終わり? ……。

「ダリの告白できない告白」 サルバドル・ダリ (著) 読了。

とにかく終わった。ページをめくるごとに騒ぎを引き起こす、このサルバドール・ダリという人物。尊大で自己中心的で、目立ちたがりで下品。守銭奴。幼稚で哲学的で稀代の偽悪者。そこから見え隠れする、というか最初から読んでいくと、実は丸見えなのだが、あまりにも、あまりにも繊細なその資質。そしていうまでもないが、圧倒的なその作品群。人間の持つ多面性の魅力をこんなに放っている人物はなかなかいない。

最初に触れたが、この本はダリが実際に書いたものと、口述、インタビューなどを編集者が年代順に並べて構成して出来ている。
ここから先はこの本を読み終えた私の想像になるのだが、ひょっとしてダリはこの完成した本を自分でちゃんと読んでいないのではないか? 原稿を書きっぱなし、口述しっぱなしで編集者に丸投げして、後はすっかり忘れて、自分は絵具まみれでキャンバスに向かっている……ダリはそういう勝手気ままな人間であってほしい、と思う反面、逆に、ゲラの段階で編集者をいちいち電話で呼び出して、「ここがちがう、ここは順番変えろ」などと、ネチネチと編集者をいじめるダリ、そういうダリでもあってほしい。自分でもこんな想像をしているのが不思議なのだが、どちらの行動も、ダリならやるだろうな、そんな気がしてしまう。

※これにて終了です。ありがとうございました。

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