『思い出のマーニー』 (※ネタバレあります) 派手ではないが丁寧に作られた、陰影を多く含みつつも前向きなひと夏の成長の物語。 アニメとともにジョーン・G・ロビンソンの原作も読んだ。 原作のアンナはアニメでは映像として視覚的に表現される行儀の良さや女の子らしい立ち居振舞いが欠けている点を差し引いても、 孤独感を抱えており思慮深い点は共通するが、子供っぽいずるさや野生味を併せ持った造形だと感じた。 また原作で特筆すべきは物語終盤にマーニーの謎が明かされるくだりで、湿っ地屋
1980年代前半の愛知の郊外に生まれた私にとって、戦後日本の都市周辺に急激な勢いで拡散して土地の記憶をフラットに塗りつぶした郊外は原風景であり、私なりの介入(歩行・リサーチ・絵画制作)によってその行く末の記録を残している。 私は相模野(現在の神奈川県中北部で相模川中流域の平野)という、相模原市東部市街地を丸ごと含む土地で個人的に10数年を過ごしており、2023年3月にはそこで個展を開催している。 その際には、 ・でいらぼっち(巨人)伝説 ・鶴川〜淵野辺〜上溝間の幻の鉄道
小島烏水(1873 - 1948)は明治初期の高松に生まれた。 横浜正金銀行に勤める一方、旅行家で登山家であり、文芸評論家でもあり、江戸期の地誌や浮世絵風景画などの芸術にも明るく、自らも紀行文や風景論という形で多くの著作を残した。 柳田国男、田山花袋など当時の多くの文化人とも交流があった。 生まれは高松だが烏水の一家は1878(明治11)年から1927(昭和2)年まで何度か転居しながらも横浜市西区西戸部(通称「山王山」)周辺で暮らした。 烏水が本格的に登山にのめり込むよう
相模湖での個展(2023/5/18〜6/4)に向けて当地の歴史を調べ始めている。 1938年「相模川河水統制事業案」(ダム建設)が神奈川県議会に提出された。 建前としてはダムによる発電で神奈川県下の電気料金を下げ工場を誘致し財政窮乏を救うというものや横浜市・川崎市への水道用水の供給だったが、その裏では日中戦争のための軍事兵器の製造工場建設のためという国家からの要請も存在した。 そのため相模湖の歴史は軍都相模原の歴史と地続きであると言っても過言ではない。 計画によってダムの
相模野に残る巨人伝説(デイラサマ、デイラボッチ、大太郎法師などと呼ばれる)について現地を訪ねた上でできる限り多くの資料を調べたが、共通する点は以下となる。 ▪︎富士山を担いで運ぶ途中で相模野に立ち寄った。 ▪︎大山頂上の平らな部分は、でいらぼっちが相模川の水を呑むために腰掛けたもの。山の形をデイラボッチに結びつける民話は筑波山、赤城山などにも残っている。 ▪︎富士山を縛って運ぶために藤づるを探したが、相模野中を探し回っても見つからず、悔しがって地団駄を踏んだ。 ▪︎地
私は1980年代前半の愛知県の郊外に生まれ、そこを原風景としている。 郊外は戦後日本の都市周辺に急激な勢いで拡散して土地の記憶をフラットに塗りつぶしたような場所だ。 私は生まれた時から現在に至るまでそんな郊外の中で生活し、習性としてそこを歩き続け、その風景をインプットし続けている。 そのため私の描く風景画は郊外という「日本的大衆消費社会の鬼子」(『「郊外」と現代社会』より)の爛熟期から停滞期に至る記録であるといえる。 私は作品を制作する際には大きく二つの文脈を意識してい
【展示のお知らせ】 2年ぶりの個展です。 「郊外・風景・地図」という継続的に追いかけて来たテーマが集約したものになりそうです。 宜しくお願いします。 --------------------------------------------- 『Sagamino Undercurrent -相模野を潜行する-』加藤真史 個展 [日程] 2023 年 3 月 4 日(土)〜3 月 24 日(金)[月火水木は休み] [場所] CRISPY EGG Gallery (上記
偶然「戦車道路」と美術がつながるエピソードを見つけたのでメモしておく。 山田五郎さんがYouTubeの中で 藤田嗣治《哈爾哈河畔之戦闘》(1941) を取り上げている。 https://youtu.be/7mf5m7MarUw (※21:00頃から言及) この作品は1939(昭和14)年のノモンハン事件を題材にしたものだ。 ノモンハンは当時満州とモンゴルの国境で、それらニ国の背後で日本とソ連が睨み合う何もない場所だった。 突発的に戦闘を開始した歩兵中心の日本軍はソ
北に多摩丘陵、南に相模野と丹沢山地を臨む、東は桜美林大学町田キャンパス裏手の相模原市下小山田から、西は八王子市鑓水まで続く全長約8kmの尾根道。 西側は八王子市と町田市の境界にもなっている。 太平洋戦争中に戦車の試走のために使われた道だ。 旧日本陸軍が戦車を導入しはじめたのは1937(昭和12)年以降だったが、当初はあまり効果的に運用ができていなかったようだ。 しかし第二次世界大戦初期にヨーロッパを蹂躙したドイツ機甲師団の電撃作戦の影響を受け、 1942(昭和17)年、戦
(※ 個人的に絵画のモチーフにもした相模野台地の都市・郊外を包摂する橋本・町田・海老名を頂点とする鉄道路線の大三角形を「相武デルタ」と勝手に名付け、現地踏査を行っている。) 無量光寺は鎌倉時代の僧である一遍上人が開山したお寺であり、当麻山は相模野台地のヘリにあたる。 相模川の目と鼻の先でもあり、南西は水田が広がり眺めが良く、丹沢山地と大山が一望できる。 当麻のすぐ目と鼻の先である田名が、大正時代以降景観良しの観光地だったことも納得できる。 また小島烏水が1906(明治3
小島烏水『相模野(抄)』を読んだ。 (寺田和雄編『ふるさと町田文学散歩 ー鶴見川・境川源流紀行-』2014 茗溪社 P.162-183/初出1907年) 今読むと当然のものである書き手の感性を通過させた文体の、1906(明治39)年に行われた踏査の紀行文。 登山家らしい地理に関する経験と知識にもとづいた垂直の俯瞰的視座を持ち、 相模野を武蔵野と、さらには富士裾野や那須野(栃木県北部)と比較する。 というより相模野は地理上で武蔵野とかなり重なるとすら指摘している。 また
淵野辺 - 上溝間の約5kmは県道57号線のすぐ裏の市街地に今は生活道路となった2本の線路の跡が残っている。 そこは度々計画が立ち上がりながら結局実現しなかった幻の鉄道路線だ。 一度目は1921(大正10)年、相模原・相模川方面と東京を鉄道で結ぼうという気運が高まった。 そこで相武電気鉄道という株式会社による鶴川→淵野辺→上溝→田名→愛川へと向かう路線計画が持ち上がり、1925(大正14)年に鉄道省から認可が下りた。 その後昭和初期の不況や相模鉄道(現:JR相模線)との上
光岡幸一《「 。」》 つくばセンター広場という子供が戯れる公共空間でスマホをかざすと読むことができるARによる言語作品。 扇動を目的とした政治的メッセージ(プロパガンダ)でもなく、 ジョン・カーペンターの映画『ゼイリブ』で描かれるような大衆への操作を目的として隠蔽された言語でもない。 そのどちらも当てはまらず、公共空間での言語の役割を脱臼させている。 (余談だが垂れ幕と手書きの文字でのパフォーマンスという当初のプランは言葉の内容ではなくその形式のみによって「政治的な
今日職場の先輩からもらったチラシ。 「瀬戸現代美術展2022」。 この鳥瞰図の航空写真、よく見ると子供の頃から知っている場所だった。 自宅から最も近くチャリで通った本屋、今はないダイエー、昔通った眼科とその処方箋を出す団地内の薬局、帰りに買い食いをしたマックのことなど、池に石を落として泥が舞い上がるように記憶が自動再生する。 知った土地に限って、垂直視点の記号である地図や、高高度の垂直視点の航空(衛星)写真や、地上からの水平視点の風景写真よりも、 このくらいの引きの斜め上
【告知第一弾】 10月に茨城県つくば市で 『HAM(平砂アートムーヴメント)2022』に参加します。 私は10月前半頃につくば駅から徒歩数分の「つくばセンタービル」内における展示という形での参加となります。 展示当日までにはまだまだ時間がありますが『HAM2022』自体は昨年からプレイベント、ワークショップ、ディスカッション、会報発行などの形で動き出しており、現在も10月前半に行われるメインイベントに向かっています。 運営は筑波大学の学生主導で規模こそ大きくはないです
今月の『ART Collectors'』(2022年 3月号)の巻頭特集「都市 アートを生み出す小宇宙 」で紹介していただいてます。 読者・鑑賞者として見知っている方々と同じ誌面に載ることができて光栄です。 宜しければお手にとってみて下さい。 ----------------------------------------- 私の作品は以下のサイトで販売しております。 https://art-scenes.net/ja/artists/2497