水の循環現象としての内面の揺らぎ ー桐野夏生『魂萌え!』
桐野夏生『魂萌え!』(2005年 毎日新聞社)
読了。
中高年から初老に差し掛かる頃に夫が急死し、その後の人生の変化に直面する東京西郊在住の一見平凡な女性の感情の揺らぎを執拗かつ丁寧に描いた作品。
仮に個人の内面の現象を水の循環に例えると、作中で長く地道に積み上げてきた揺らぎの文脈を短い最終章で一気に洪水のように放出し、しかし災厄ではない形で着地させる技術がすばらしかった。
そして一時も同じでなく変化し続ける河川の水面を凝視し観察し続けるような、
例えば積み藁を度々描いたクロード・モネか、
または熊本県大牟田市周辺の風景を生涯描き続けた江上茂雄のような、同じ構図・モチーフの大量の絵画を観たような読後感だった。
一枚の絵画に膨大なリソースを投入したことによる圧力と腐臭を瘴気のように纏う写実絵画とは異なり、
大量の同系統の絵画を描く行為には流れる河川のようなある種の爽やかさがあり、膨大なリソースの痕跡を残しつつもそれが視覚化された際の腐臭を押し流す効果があると感じる。
視覚情報のない文学による内面の揺らぎの描写にはそれと似たような効果がある。
おそらく人間の内面は、どんなに堰き止めようとしても死が訪れるまで感情が湧き出るし流れ続けることを示唆してくれる作品だった。
その事実に思い至ることは多少うんざりもするが、腹が括れるというか、救いにもなる。
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