境川養蚕関連地等フィールドワーク②
(踏査日:2024.3.30)
・京王相模原線多摩境駅
多摩境駅周辺は多摩ニュータウンの比較的新しく作られた地域だ。
1997年に整備され中央に星野敦《地球断面 ー森のスポットー》が設置された駅西口ロータリーは「神殿シミュラークル」とでも形容できそうな空間が広がる。
多摩センター駅前の「パルテノン多摩」とともに、80〜90年代の終末思想世界観のサブカルの匂い(『ナウシカ』の腐海の底、『聖闘士星矢』などの)というか、やや厨二病的な感性を感じる。
そんな建築が実現したのは良くも悪くも余裕と豊かさの産物だろう。
・浜街道陸橋、浜見場
八王子 - 横浜間の「絹の道」=「浜街道」を通った人々が遠方の横浜を望み見た丘陵地。
現在は八王子市と町田市の境となっている全長約8kmの「尾根緑道」の西端の小山内裏公園内にあたる。
この道は第二次世界大戦時には相模陸軍造兵廠で造られた戦車を試走する通称「戦車道路」だった。
「戦車道路」についての記事はこちら↓
・札次神社境内「蚕種石」
戦国時代の弘治年間(1555〜1557)、常陸の国から流れてきて現在の町田市小山町三ツ目に土着した武将・島崎氏が持ってきたと伝えられる石。
当時は現在の尾根緑道に石を祀って武運長久と子孫繁栄を祈願したと言われる。
常陸の国といえば蚕神である金色姫がインドから漂着したという伝承がある土地だ。
由来を求めて潜行すれば、郊外の片隅に鎮座した石から常陸を経て古代インドまで辿ることができる。
相原の蚕種石とはまた異なり、子に恵まれない女性がこの石に祈願すると子種を授かるという俗信があった。
そのご利益かは分からないが、現在でも小山町三ツ目では島崎姓がとても多い。
・宮下自治会館内「蚕影神社」
・二十三夜堂、蓬莱橋
旧暦23日の前日から橋の下の境川で身を清め、仲間が集まり勤行、飲食をともにして23日の夜の月を待つという信仰行事が行われていた場所。
「橋のたもとの神様」の「橋(はし)」がなまって「あし」となり、いつしか足の病気に悩む人々が願かけに訪れるようになったようだ。
私が現地を訪れた際にたまたま居合わせた地元の方らしき男女2人連れ(70代?)が御賽銭二十三円を奉納していった。
「現代人がスマホを見る時間=昔の人が神仏に祈る時間」と仮定すると、
YouTubeの投げ銭で配信者に優先的にコメントを届けることは神仏に賽銭を投げて願かけをすることと現象として重なる。
一時的に現世から浄土へと時空を超越して(super)話(chat)を仏様に聴いてもらう通話料というわけだ。
・JR横浜線橋本駅
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【参考・引用】
◾︎ 畑中章宏『蚕 ー絹糸を吐く虫と日本人』(2015 晶文社)
▪︎ つちのえ会(編集)『さがみはら 石仏夜話』(1978 相模原郷土懇話会)
▪︎ 町田市文化財保護審議会(編集)『町田の民話と伝承 第一集』(1997 町田市教育委員会)
▪︎ シルク民俗研究会 カイコローグ
境川と蚕神(1)蚕種石・蚕影神社
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