八王子フィールドワーク(鑓水方面・養蚕関連地)
2024年2月に行った主に八王子市鑓水における「絹の道」、そして養蚕業関連地のフィールドワークの記録を残す。
・JR横浜線片倉→
・打越弁財天→
国道16号線脇の人家の少ない一帯に佇む神社。
蚕の天敵である鼠を退治してくれる白蛇を御神体とした弁財天を信仰し、境内には白蛇絵馬も掛けられている。
鼠除けの信仰対象は他に猫や百足がいた。
・道了堂跡→
八王子と橋本の間に位置する大塚山山頂の寺院跡。
1963年、堂守老女(浅井とし)殺人事件の現場。
今は建物すらなく鬱蒼としたこの場所は、すでに歴史に埋もれた八王子 - 横浜間の近代日本「絹の道」や養蚕業を象徴している。
・絹の道資料館(八木下要右衛門屋敷跡)→
主に4家あった鑓水生糸商人の有力家のひとつで「石垣大尽」と呼ばれた八木下家の跡地。
要右衛門は強盗に殺されたとされていたが、実は3代目の放蕩三昧の息子に金銭的な揉め事で殺されたと言う。
明治初期に途絶えたこの家の屋敷跡は辺見じゅんが度々訪れた1970年代前半には石垣のみが残っており、1990年に絹の道資料館となった。
・諏訪神社→
蚕神「子(ね)の権現」を祀った神社。
戦前までは多くの参拝者が詰めかけた。
・南津電気鉄道 鑓水停車場→
1926年(大正15)に着工したが生糸の暴落で資金難となり中止となった鉄道。
府中から関戸で多摩川を渡り多摩丘陵を東西に横切り津久井までを結ぶ路線だった。
大栗川に架かる御殿橋付近は「鑓水」停車場となる予定だった。
・永泉寺→
1884年(明治17)の火事が起こったため、当時野ざらしだった「石垣大尽」八木下要右衛門邸を本堂として移築した。
・大塚五郎吉屋敷跡→
気性が激しく「狼の五郎吉」と呼ばれて訴訟に明けくれた人生を送った生糸商人・金貸しの屋敷跡。
狭い山間部の鑓水で生まれたため広大な土地を所有する野心を抱いており、1843年(天保14)より九十九里浜の新田開発に乗り出した。
しかし当時海岸に居住していた「芝虫」と呼ばれる百姓身分でない被差別民を土地を所有する本百姓にするなど許せぬ、という現地の貧しい百姓たちからの蔑視に動機付けられた反発を受けて頓挫した。
その後、のちに三溪園を造る原富太郎の先代である原善三郎と生糸取引をするなど横浜進出を目論むがすでに高齢すぎており、1873年(明治6)に亡くなる。
・小泉家屋敷跡→
・多摩美術大学八王子校→
・蚕種石→
町田市相原の路上に安置されている、養蚕農家から「蚕の守護神」として信仰されていた丸石。
戦時中は土に埋もれていたが1965年に地元の柴田家に祭祀され、その後現在地へと移転されている。
・JR横浜線橋本
【参考・引用】
▪︎ 辺見じゅん『呪われたシルク・ロード』(1975 角川書店)
▪︎ 畑中章宏『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』(2015 晶文社)
▪︎ 『町田の民話と伝承 第一集』(1997 町田市教育委員会)
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