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八王子フィールドワーク(八王子西部方面)

※踏査日:2024/2/20

・JR中央本線西八王子駅→

JR中央本線西八王子駅北口

・叶谷住吉神社→

境内に桐生の蚕影山神社より分祀された蚕影神社(本社は茨城県筑波)が祀られている。
しかし境内にふたつあった社はいずれもかなりぼろぼろで記名も無く、どれが分祠なのかは分からず。
養蚕業の現状がまざまざと現れている。

叶谷住吉神社
叶谷住吉神社
蚕影神社分祠(?)

・八幡神社→

大善寺の機守(はたがみ)神社や多賀神社と同じく、八王子市内の機神を祀った神社のひとつ。
養蚕業・織物産業が隆盛していた頃の八王子はそこら中で機神が祀られており、まさに「機神さまの村」だった。
それは織物業関係者にとって精神面の話だけではなく実利やメンツにも関わる重要な信仰対象だった。

「織り子たちは、七月七日の七夕には、大善寺詣でをし、短冊に『機が上手に織れるように』といじらしい思いを書き記した。
これは旦那さまやオカミさんにしかられないように早く上達したいという悲願と共に、直接給金を左右する切実な願いであった。
また、機場が女だけの隠蔽された集団であったので、暗黙のうちに先輩や朋輩の眼も意識される。」(※)

「丹後地方では七夕を棚ばた、あるいは田畑と書き、七夕伝説の天女を田畑の神、織物の神として祀っている。」(※)

現在ではかなり忘却されてしまったが、
このように往時の桑都・八王子には物理的な生糸・織物だけではなく
桐生の白滝姫、常陸の金色姫、馬鳴菩薩、弁財天など形而上的な神々も各地から集まっており、人々の間でたしかに実在していたのだ。

八幡神社本殿
八幡神社境内
八幡神社境内
八幡神社鳥居

・中央自動車道(元八王子町宮野前橋上より)→

中央自動車道
中央自動車道

・武蔵陵墓地(多摩御陵)→

古墳形式の御陵がある広大な山間部の皇室墓地。
造営時は多摩御陵と呼ばれ、
昭和天皇陵が造られた後は武蔵陵墓地と改称された。

まず1927年(昭和2)、前年に崩御した大正天皇の多摩陵が造られる。
後に1951年(昭和26)に崩御した貞明皇后の多摩東陵、
1989年(昭和64)に崩御した昭和天皇の武蔵野陵、
2000年(平成12)に崩御した香淳皇后の武蔵野東陵が加わる。

武蔵陵墓地入口
武蔵陵墓地への参道のケヤキ並木
南浅川橋

・東浅川仮停車場(現:陵南会館跡地)→

1927年(昭和2)皇室専用の御召列車の停車場として開通。
1960年(昭和35)廃止。
2年後に八王子市に払い下げられ、さらにその翌年集会施設の陵南会館となる。
1990年(平成2)に新左翼による爆弾テロ事件により焼失。

陵南会館入口
陵南会館入口

以下の写真は吉田初三郎が京王電軌の依頼で、一般の参拝者のために1931年(昭和6)に開通し1945年(昭和20)に廃止された京王電軌御陵線とその周辺を描いたもの。

吉田初三郎
《京王電車沿線名所圗繪
(東京より多摩御陵)参拝近道》
(1930)部分
吉田初三郎
《京王電車沿線名所圗繪
(東京より多摩御陵)参拝近道》
(1930)部分
吉田初三郎
《京王電車沿線名所圗繪
(東京より多摩御陵)参拝近道》
(1930)

・JR中央本線高尾駅

JR高尾駅北口
京王高尾線高架下
JR高尾駅ホーム

【参考・引用】
︎◾︎ 辺見じゅん『呪われたシルク・ロード』(角川書店 1975) (※)部分はこちらより引用

◾︎「八王子こどもレファレンスシート 多摩御陵」(編集・発行:八王子市中央図書館 2011 ※2022 改訂)

https://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/pdf/011.pdf

◾︎「写真でひもとく街のなりたち この街アーカイブス
東京都八王子 5:「多摩陵」の造営」
三井住友トラスト不動産

◾︎『吉田初三郎 鳥瞰図集』(解説:岡田直 昭文社 2021)

◾︎ 原武史『歴史のダイヤグラム 鉄道に見る日本近現代史』「多摩陵への参拝、鉄道から車へ」(朝日新聞出版 2021

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