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もう「政治屋」はいいよ【エッセイ】二八〇〇字

 「裏金」。政倫審でも正直に答えようとしない、ウソをつく。その場に出てこないヤツもいる。このあと証人喚問をやったとしても(たとえ罰則規定があろうが)同じこと。規制する法律を何度変えても、これまでの繰り返し。「政治屋」が、自分たちに不利な法律を作るはずがない。これまで騙されっぱなしではないか。その体質は変らない。「政治家もどき」「政治屋」にはご退場願い、そろそろ国民目線に立った、政治に誠実にむきあう人間にやってもらおうじゃないか。

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 東京地検特捜部の鼻息が荒く、「今度こそは本気かもよ」と、この年末年始の楽しみが増えたなと思っていた。のだが、年末に、胆管ガンの疑いで緊急入院。(結果的に、「ガンもどき」だったのだけど)自分の命の心配をしなければならなくなった。そんな状況でも当初は、入院中に逮捕者が何人か出るのを見たいものだ、と余裕もあった。しかし年末に行った施術で膵炎を併発。年明けのしばらくはHCUのベッドでうなされたまま、テレビを点けることもなく、地震さえも直後の様子をチラ見するのがやっと。「裏金」問題のことはすっかり頭から消えていた。ようやく世間の動きにも気が向くようになったのは、入院から3週間後。画面からは、特捜部の弱腰の姿勢。結集した100名の「全国の有能検事」くんたちは、雷おこしでも買ってトボトボと持ち場に帰って行ったのか。いったいどうしたんだい! やっぱり弱い者イジメだけの検察だったかと、低めの血圧が、200を超えるんじゃないかと思うほどに跳ね上がった。しかし、なんとか退院できた後も、10kgの体重減による体力低下には勝てず、エッセイを書くどころか新聞を読む余裕さえもまったく、なし。「五本に一本は(政治ネタを)書かねば、筆が腐る」とぬかしておきながら、ちょっと入院したくらいで書けなくなる、なんともなさけないありさまであった。
 しかし、今回もこれまでと同様に茶を濁し、「国民はそのうち忘れるだろう」方式で済まそうとしていることにはガマンならない。そんな悪しき慣習が染みついている『昭和な自民政治』をいつまで続けさせるのか。次の総選挙がいつになるかは見通せないが、そのときまでこの憤りを持ち続けよう。
 そんなことを考えていたところに、3月23日の朝日新聞の「声」にこんな投稿があった。

朝日新聞朝刊(3月23日)「声」

 きわめて健全なご意見、と思う。肩書を「無職」とせずに「年金生活者」としているところも気に入った。お勤めを果たし、ようやく自分の時間を持てるようになり社会を見渡して感じた思いが伝わる。ただ敢えて苦言を呈すれば、「確かに、今の野党はあまり頼りにならないかもしれません」は、書く必要はない(謙虚に、表現を和らげるために書き添えたのだろうけどさ)。政権与党からの利権に期待する「寄らば大樹の陰」族の評論家、コメンテーター、はたまたマスコミまでもが、いちおう政権を批判したようなことは言うが、公平性を装う紋切り型の常套句として、「野党が頼りないから(自民党で仕方ないんじゃない)」というレッテル貼りの姿とかぶる。政権与党の批判で終えずに、「頼りない」という理由にならない理由で、「野党にも責任がある」とバランスをとろうとするのは本末転倒である。自民党が政権のほとんどをとってきたのだから、野党の未熟さはあるだろう。しかし、未熟であるが故に、政治に誠実に向き合っている。真面目過ぎるのが欠点と言ってもいい。日本では、欧米と違って“失敗は成功の母”としない傾向があるが、民主党時代の失敗は今後に生かせる意味で、大きい(こども手当など成功事例も多い)。少なくても「政治屋」の議員はほとんどいない(「政治屋」なら、自民党を選ぶだろうしね)。良識ある方の多くは、「年金生活者」さんと同じように感じているのではないだろうか。
 これまで何度も、「政治に緊張感を持たせるために、政権交代の可能性ある緊張した体制の実現が必要だ」と述べてきた。お隣さんのいくつかの国のような独裁国家でなく民主主義国家であるからには、その選択の自由があり、交代の可能性がある体制にしておかなければならない。(ワタクシは)間違っても「昭和な自民党」(および、そのコバンザメ政党)に投票することはないけどね。
 「交代」と言えば、最近こんなことがあった。
 経済学者でありコメンテーターとしてメディアの露出が目立つ成田悠輔の過去の発言が物議を醸している。彼をキリンの缶チューハイ「氷結無糖」のWEB広告に起用したことから不買運動に発展しそうになり、早々に取り下げたという。発言は2021年のもので、「日本の少子高齢化の解決策は高齢者の集団自決しかない」という内容。映画『PLAN 75』を連想する。トレードマークの丸四角メガネではないが奇をてらった発言が多い人物なので、私は「色眼鏡」で彼を見ているが、言いたかったことは、理解できる。「世代交代が進まない」日本の構造を指摘するなかで出たブラックジョークではないかと。
 戦後の高度成長期の甘い汁を吸いその古い「昭和な」幻想のままの老人たちが、政財界で大きな力を持ち続けていることは事実。その象徴が、元総理のYMでありTA。歳はワタクシよりも若かったが極めつけがSA。そして最高齢の(バカヤロウ発言の、馬鹿野郎な)TN。さらに、政権の中枢でのさばる自民党の老「政治屋」たち。その悪しき遺産が、「裏金」にまで繋がっているのではないか。
 「年金生活者」さんではないが、やりたい放題である。「日本を牛耳っているのはオレたちだ」顔で政治をやられたのでは、たまったものじゃない。「何様だと思っているんだ」と言ってやりたい。われわれが支払ってきた(少なくない)血税をわが物顔で使い込んでいる。自分の財布の中に自動的に入ってくると勘違いしているのではないか。自民党幹事長の(バカヤロウ発言の、馬鹿野郎な)TNが5年間に計48億円受け取り、曖昧模糊のままであるという報道には開けた口がそのまま、顎がはずれそうである。老人だけかと思いきや、「和歌山過激ダンスショー」「SM緊縛パーティ」ときた。若い奴らまでもが、「昭和な」時代の悪習(悪臭)をそのまま受け継いでいる。
 集団自決は、少子高齢化を招いた「“老害”政治屋」たちに命じるべきである。ようやくむかえた第二の人生をなんとか楽しみたいとする健気なわれわれじゃなかろう。自分の利益しか考えないような「政治屋」は、政治の世界から去るべきである。そのための一票にしなければならない。「そのことだけは忘れてはならないぜ」(すぐに忘れると軽く見られているお人好しの国民性としても)。
 ことしは、台風並みの春の嵐が吹きまくっている。例年よりも極端に多すぎない?

(付記)
 政治成熟度の高い北欧諸国、そのなかでも特に際立つスウェーデンの政治を過去に紹介したことがあります。スウェーデンなら、今回のような問題は、一発退場モノ。日本の政治と比較すると大人と子どもの差くらいあります(あ、子どもには失礼か💦 m(__)m)。スウェーデンでは、政治への信頼感がベースになっています。政治不信の日本とは真逆です。信頼できるからこそ、彼らは、高率の税金であっても支払っているのです。

 未読の方はぜひ読んでね。要約すると、以下にまとめられます。

スウェーデンと日本 ―政治の決定的な違い―
1) 政治家は質素
・質素な国会議員の執務室
・秘書や個人的な助手はなし
・議員報酬は小学校教師の二倍
・議員には終身恩給もない
・お抱え運転手もなし
・ファーストクラスの航空券もなし
2)透明性
3)高投票率(特に20代は大きな差)

(『あなたの知らない政治家の世界―スウェーデンに学ぶ民主主義―』から)

 いまの政治にシラケているみなさん、政治の姿は国民力を映しているとも言えるのです。まずは、「政治屋」には退場して頂くように、(よ~く見極めて)誠実な人間に一票を。基本のキの選挙から。そこで、彩音幸子さんの記事を。


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