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「ワケあり」【エッセイ】二〇〇〇字

 「サンデー毎日」で行こう!
 三十路から17年勤めた会社を辞め会社を興したとき、そう決めた。宮仕えを捨て去り、せっかく自由の身になったのだから。<年中無休で働くけれども、毎日が日曜日でもある。趣味のつもりで会社をやろう>と、思うことにした。趣味なら、多少きついことでも耐えられるだろう、と。いや振り返れば、大学を出てから趣味の延長線上で仕事をしてきたのかもしれない。単なる「アメーバ」だったのかもしれないけれども。刺激ある方向に歩いていた。結果的にほどほどの成果があったとすれば、それが幸いしてくれた気がする。

 そうは言っても、自分だけで会社をやるわけにはいかない。人材が、必要。かと言って、「うちは、社員〇〇〇〇名です」なんて、社員数を競おうとは、まったく思わなかった。目指すは、「無借金経営」。優秀なスタッフの少数精鋭でいい、と考えた。かつ、「サンデー毎日」。自分の自由な時間も欲しい。オフイスの多くの社員に縛られたくない。いわんや、年季の入った、クセがしみ込んだ経験者では、メンドクサイ。社会的には未熟でもフレッシュなヤツらがいい。さいわい業種的には、オンライン(いま普通になったリモート)でも仕事ができる。多くのスタッフを在宅勤務にし、その仕事をコーディネイトする「小さな政府」体制で行こうと、決めた。
 しかし、インターネットの「イ」ぐらいの、時代。それなりに成功するかもと、自信みたいな、いやなんとかなるだろうという(不確かな)ものはあった。が、金は、ない。採用支援のための「〇〇テスト」のようなサービスを使うほどの予算は、ない。得体の知れないWEBデザインなる会社。HTMLなんて知っているヤツも極めて、少ない。募集しても応募があるのか、不安だった。
 が、あにはからんや、そうでもなかった。著名な大学卒業(中退も含むが)の経歴を持つ若者から連絡があったのだ。2000年初め。就職氷河期の時代が幸いしたのだろう。となれば、「学歴主義」でいこう。「少なくても難関校に受かるだけの頭はあったはず、検査なんか必要ないだろう。最後は、性格。自分の直観を信じよう」と。だから、ペーパーテストはやるが、面接者同士で採点させた(なんとも横着なワタクシなのだ)。ただ、大企業には行けず、小さな会社の面接を受けるのだから、なにがしか欠落している「ワケあり」かもしれないが、とも思った。
 確かに、名のある大学や学校を出ているヤツらが集まった。在宅勤務者との調整役、内勤のNは、某国立大学。取引先の〇勢丹に出向させたMは、C大中退でオタク(専門知識は満点)。チーフデザイナーOは、有名美大。T女子大やK女学院の変わり種も。ライターのHは、某K大とか。

 「ワケあり」人材の筆頭が、Nくん。筑波にある国立大学卒業(と書いたらわかっちゃうね)。デザインではなく、コーディング(WEBプログラムを組む)志望。頭の回転も良さそう。コヤツは、全体を管理・調整する業務に向くと、内勤スタッフと決める。しかし、そこで、「ワケあり」が。面接では、ハキハキしていて、好感度満点だったのだが、いざ働くことになって、「おはようございます」が言えない。「お」しか聞こえない。ま、人見知りする性格なのだろうと、しばらく様子を見ていて、ある日、訊いた。すると、「おはようございますと言われると、プレッシャーになるんです」と、宣う。<おいおい、“お”だけのほうがプレッシャーになるだろう?>と思ったが、まあ、「オス」みたいなもんだからと、「お」だけでも無罪放免することにした。しかし、取引先との電話では、ハッキリと、「おはようございます!」と言っているのだ。電話では、面接の時のように、一丁前の応対で、とても評判が良いのだった。
 「ワケあり」の反面、記憶力は抜群だった(後に知るのだが、地理の全国実力試験で日本一を獲得したほどに)。
 ある日。突然、Nくんが、「菊地さん(社長とは言わないで、と言っていた。取引先の前でも)、〇時から〇勢丹で打ち合わせじゃなかったですか?」と言うのだ。そうだった。失念していたのだった。彼は、電話で取引先と約束していたことを聴き、記憶していたのだ。取引先とのやり取りでも、その能力を発揮。他部署との調整を忘れていた担当者に、揚げ足取りまでやっていた。

 他にも、「ワケあり」なヤツらの話はあるが、次にまわそう。

 こんな「ワケあり」たちだが、「サンデー毎日」のワタクシは、方針だけを徹底し、他は任せて(というか、専門知識には疎かったためであるけども…)、ほぼ定時にスタッフを帰らせ(徐々に遅くなっていくが)、夜の街に繰り出ていた(馴染みの店に、バイトよりも出勤率が高いですよ、と言われるほどに)。むろん営業、情報交換である(かどうか怪しいけど)。
しかし、「サンデー毎日」と思い込んでも、頭の片隅には、常に翌日はマンデーがあり、日曜日の夕方のブルーな不安な気分は、(多少は)あった。それが、解放されたいま、「サタデー毎日」になっている。

画像;note「よしだたつや」さんから拝借しました。

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