皆さんは辞書をお持ちですか。私は英語の電子辞書のプロフェッショナルモデルを持っていますが、普段はネットで確認することが多いです。正しい言葉の意味や使い方を知りたいとき、辞書に立ち返るものです。そこに正解があるような気がして。でも、もし辞書が正解なら、辞書はどうして版が重ねられ、正解が書き換えられていくのでしょう?見やすくするため?例文を変えるため? 答えは「言葉は変わっていくものだから」です。言語も新陳代謝をしており、古くなって使わなくなった言葉もあれば、意味が変わった言葉
前回、英語スピーチの授業の後学生用に書いたまとめコメントを、「スピーチではもう一人の『自分』を創ろう」と題してnoteにまとめました。ありがたいことに、多くの方々に読んでいただきました。記事が少しでも「スピーチ」を捉え直すきっかけになってくれていたら幸いです。 先ほど26名の英語スピーチの録画を確認し、出してもらったレポートに朱入れを終えたところです。あらためて「スピーチってコミュニケーションだという発想が大切だよね」と思いながら、その点を確認すべく、もう一つ書くことにしま
私は特段スピーチがうまいわけではありませんが、英語コミュニケーション担当(専門はコミュニケーション学)として、スピーチ・コミュニケーションという英語専門の授業を担当しています。自分なりに理論と実践を融合させようと努めています。昨日の授業後のコメントで学生に伝えた文章に少し手を加えたものを、ここに載せておきます。 内容も大事だけど、言葉の配り方も大事なのよ スピーチと言えば普通、トピックについて深く考え抜き、練りに練ってロジックや表現を精錬し、徹底的に練習し、それを人様に伝
ここでは過去3回、レポートの書き方について短い文章を書きました。それをまとめたのが以下のものです。 さきほどレポートの採点を終え、一人一人にメールにて返却するにあたり、全体に向けたコメントを送ろうと、ワードにカチャカチャとメッセージを書いていました。先の「書き方」について書いてからしばらく経ったのもあってか、これはこれでnoteに載せておこうという気になったので、早速手直しし、アップしました。おそらく上記の「まとめ」と重複する部分はあるので、まとめへの「補足」とします。
忘れられない本がある。『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』(海鳥社)という本だ。 その本について、僕は2009年8月29日に、以下のような文を書いている。あれからもう14年が経ち、僕と著者の咲子さんとの年齢差は広がるばかりだが、今も大切な一冊であることには違いない。 今は研究室のHPにひっそりと載せている状態だが、思い立ってnoteに採録しておこうと思う。 (以下、過去の文章より引用;小見出し、ミス修正、段落分け、句読点等の変更あり) 「人」としての本書との出会
新年度が始まりました。今年もコロナウイルス感染の影響により、遠隔授業も多く、レポートなど文章を書く機会が多いことと思います。しかし、大学に入って早々レポートを書けと言われても、正直「書き方がわからない」という方も多いのではないでしょうか。 これは仕方がないことでもあります。というのも、これまで多くの方々がレポートをどう書くといいのか、いや、そもそもレポートとは何か、さらには「書くこと」「論じること」とは、ということを習ったこともなければ、考えたこともないからです。 昨年度
年があけてすぐに、産経新聞から取材依頼があった。震災から10年が経った今、あのとき声高々に叫ばれた「絆」とは一体何だったのかを振り返る企画だった。 縁あって、震災直後から「ふんばろう東日本支援プロジェクト」という大規模な支援システムが立ち上がる過程を目の当たりにした。プロジェクトの創設者である西條剛央氏が学会の基調講演者として決まり、氏の仕事をちょうどフォローしていたからだ。このシステムを使えば(氏の基調講演とシンポジウムでの発言をまとめた論考「人間科学とコミュニケーション
新型コロナウイルス感染が拡大し始めてから、1年以上が経つ。そんななか、経済も人々の心身もかなり追い詰められている感がある。私自身、これまで以上に閉塞感や辛さを感じることが多い。若い方々はなおさらのことだろう。何かにつけ「互助」と言い出すこの国において、どのくらいの対策がなされ、どの程度の効果があるのかも、なかなか信用しきれないでいる。 そんな中でのこのような記事。胸が痛む。 「困っています」と言えない個人・言わせない社会この国の問題は、困っているときに「困っています」と言
2月になった。期末レポートの執筆がいくつか溜まっている方もいるだろう。その前に、前に出してもらったレポートを返しておかねば、と一気に朱入れし、返却を進めている。これまでレポートについて感じてきたことを、今回さらに強く感じたこともあり、noteで書いてみた。 ただ、構えだけではレポートは書かない。そこから論を紡いでいかなければならない。今日は簡単に、論の紡ぎ方を書いておこう。 その前に少し迂回して、「話す」と「書く」の相互作用と私たちの知性の発展との関係についてみておきたい
先日レポートを見ていて、これまで感じてきた違和感がよりリアルに感じられた。学生は学生で書き方に困っているだろうと思い、「レポートは『構え』からあらためよ」と題した投稿をしてみた。 タイトルが暗示しているように、要は、「構え」、つまり、多くの人が書く前からすでに躓いていた、ということだ。だから、レポートなるものを書く前に「構え」をあらためるところから始めよう、というのが投稿の主旨だ。 学生諸君に少しでも参考になっていれば、と思う。 今日は別のレポートを読んでいて、さらに指
多くの学生がレポート作成に苦労している。もっともだと思う。これまで感想文とか結構書いてきて、大学に入っていきなり「レポートを書け!」と言われても困る、といったところだろう。しかも、レポート提出を求める割には、誰もレポートとは何か、どう書けばいいのか、について教えてくれない。 多くのレポートを読んできた経験から言って、学生がどこで躓いているかというと、レポートを書く技術よりはるか手前、つまり、「書くこと」に対しての構えのところで、すでに躓いている。 感情の吐露としての「感想
ツイッターのハッシュタグのトレンドに、気になるものがランクインしていた。「日本」が「日本人のもの」だと謳ったものだ。そういえば、朝は朝で、ある化粧品会社の社長が人種差別的なことを書いて、大炎上していた。それもあって、ハッシュタグが気になったのかもしれない。なぜ、どう気になったのか書いてみたい(忙しいんだけど)。 固定されるアイデンティティ「日本人のもの」というとき、「日本人」とは誰のことを指すのだろうか。 実は、文化も、言語も、人のアイデンティティも、本来、グラデーション
「香港国家安全維持法」が成立、施行され、すでに多数の逮捕者が出た香港。激しい衝突と逮捕の映像を見ながら、香港の人たちを憂いている。同時に、「自由」を守ろうと戦っている姿に心が震える。 アメリカに端を発したBlack Lives Matter、通称#BLMを文字って言うならば、Hong Kong Lives Matter、すなわち#HKLMとでもいうべき事態だ。 ところで、Twitterから流れてくるツイートを眺めていると、不思議なことが起こっている。右も左も、同じように中
普通なら研究室ブログに書くところですが、先日noteの登録をしたので、こちらに書いてみようと思います(まだ勝手がわからないが、使い方が手ごろで「ポップ」だな)。 タイトルを見てお分かりの通り、映画『タゴール・ソングス』(佐々木美佳監督)を観ました。本来なら県内のKBCシネマで鑑賞するところですが、このご時世で上映中止中。 ところがなんと、「仮設の映画館」という、指定の映画館にお金を払ってネットで観れる、という仕組みで本編が上映されていることを知りました。ということで、先ほ